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2013.9.22 「主を告白するために」 マルコによる福音書3:7-12

1:  群衆の目的 

 多くの群衆がイエス様の奇跡によって集められました。群衆の求めていたものは何だったのでしょうか。群衆の目的はイエス様の奇跡の行為を求めていました。イエス様の「悔い改めて、福音を信じなさい」という御言葉は届いていなかったのかもしれません。群衆は現実の生活の苦しみ、自分の願いや思いをかなえ実現してくださる方を求めたのです。

 

2:  何を求めていきている 

 皆さんは、今、何を求めているでしょうか。この前、子育てのテレビを見ていました。それは「発達障害の子どもとのかかわり方」についての番組でした。番組では、自分の子どもが発達障害の子であるお母さんが、「なんで、自分の子どもなんだろう」と、「となりの元気な子どもを見ていて、なんで自分の子どもが、障害をもった子どもになったのだろう」と涙ながらに語っていました。「どうして自分の姿は、自分の願いとは違うのだろうか」と。これは病気ではなくても、何か失敗や、思いが満たされないときに、誰でも思う人間の思いなのだと思います。 

 

 奇跡的なイエス様の病気の癒しは、そのような人間の思いをひきつけたのだと思います。しかしまた、ここに表される群衆は、思いが満たされないときに「イエスを十字架につけろ」と叫んでいく者と変わりました。私たちの願望、自己目的だけの願いは「ほかの人」を見捨て、「他者を蹴り落とし」、最後には十字架にキリストをつけた、大きな罪の出来事となるのです。

 

3:  十字架のイエス・キリスト

 神様は、人間の欲望を満たすことによって愛をあらわす方ではありません。すべての人間の思いが満たされることが、神様の存在を表すのではないのです。キリストが十字架という苦しみの中に来られて「なんで自分はこの苦しみの中に生きるのだろう」という思いの中に、神様が来られることによって、神様は、人間と共に生きることを表されました。ここに神様の愛が示されたのです。私たちが本当に苦しいときに、神様が共にいてくださるのです。それがイエス・キリストの命をかけた御言葉です。

 

4:  キリストを告白するために

 私たちは、十字架のイエス・キリストを「救い主」と告白していきましょう。イエス・キリストは、私たちの叫びを受け止め、命をかけて共に生きてくださいます。私たちは、このキリストを告白するために生きるのです。イエス・キリストを表すために生きていきたいと思います。