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2013年9月25日 「顔を伏せたカイン」 創世記4:1-16

1.      主によって得た ( 創世記 4:1-2 )

 エバは「わたしは主によって男子を得た」と言いました。「カイン」という名前は、罪の代名詞とされてしまっているかもしれません。しかしまた「カイン」という言葉は「得る、形作る、産む、創造する」という意味を持った言葉、名前です。「カイン」とは神様に讃美を献げ、喜びを表した名前です。それに対し「アベル」とは「空虚、虚しさ、無意味、無価値」という言葉の意味を持った名前です。

 アダムとエバに何があったのかは分かりませんが、カインとアベルの名前にはこのような意味があります。理由は分かりませんが、カインは喜ばれ、祝福のうちに生まれ、またアベルは虚しさの中で生まれたと、読み取ることができる。それがカインとアベルです。

 そしてこの後、神様が選ばれたのは、無価値で虚しいとされていたアベルの方でした。神様は人間の社会で、人間の目からして虚しく、無価値とされた者をこそ選ばれたのです。

 

2.      顔を伏せた者 ( 創世記 4:3-7 )

 神様はアベルとその献げ物に目を留められました。しかし、カインとその献げ物には目を留められなかったのです。なぜでしょう。ここに理由は記されていません。「カインは激しく怒って顔を伏せた。」とだけ記されているのです。

 皆さんは怒るとき、納得いかないとき、どのようにされるのでしょうか。子どもを見ていますと、普通は最後まで泣いて、わめいて、怒ります。顔を伏せてなんかいません。怒る時は顔を上げて怒ります。特に、子どもでも、自分が正しいと思っている時には、顔を上げて、思いっきり泣きわめきます。私が間違っていて、子どもが正しかったら、とっても大変です。

 それに対して、「顔を伏せる」。また逃げ出す時。つまり「目をそらして、耳を傾けない」時は「自分が悪い」と知っている時です。「自分がしたこと」または「自分がやらなかったこと」を、本人はよく知っているのでしょう。「顔を伏せて」いる時、それは自分が悪かったと知っているからこそ、顔を上げられないのです。

 カインは「激しく怒って顔を伏せた。」のでした。なぜ神様が、カインとその献げ物には目を留められなかったのか、その理由は記されていません。しかし、カイン自身はその理由を一番よく知っていたのかもしれません。だからこそ、「顔を伏せた」。神様に目を合わすことが出来なかったのでしょう。

 「主はカインに言われた。『どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない。』」(6-7)

 

3.      神様との関係 ( 創世記 4:8-9 )

 カインは弟アベルを殺してしまいます。神様との関係が「顔を伏せて」崩壊してしまっている中で、カインは罪の中へと突き進んでいくのです。

 神様との関係、神様に顔を上げられない状態で突き進むとき、私たちは罪を支配するもの、神様との関係の崩壊した道を歩みだします。「罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない。」と、語られる通りに歩みだすのです。それは、カインだけではありません。

 神様に従ったペトロも、もちろん私たち一人一人も、すべての人間が、神様との関係を間違えた時がある者です。神様に顔を上げられない時があった者です。

 ここに関係の崩壊を表すやりとりが記されます。「主はカインに言われた。『お前の弟アベルは、どこにいるのか。』カインは答えた。『知りません。わたしは弟の番人でしょうか。』」(9)

 カインは、神様の問いに答えようとはしません。ここに関係の崩壊が表されます。神様の問いに答える言葉もなく、顔をあげることもない。そこに神様との関係の崩壊、罪が表されているのです。

 

4.      神様から与えられたしるし ( 創世記 4:10-16 )

 カインは「わたしの罪は重すぎて負いきれません。」(13)と嘆き祈ります。「わたしが御顔から隠されて、地上をさまよい、さすらう者となってしまえば、わたしに出会う者はだれであれ、わたしを殺すでしょう。」(14)と嘆くのです。

 カインは、神様との関係の崩壊の重さに気がついたのでしょうか。神様に顔を伏せて生きる自分の罪の深さ、神様が御顔を隠されることの厳しさを知ったのです。神様の前に立つことの大切さ、御顔から隠されて生きることの困難と苦難を知るのです。そこには生きている意味を見出すことができない、死を意味する、死を招くと語るのです。カインの悔い改めです。カインは神様との関係の回復を願ったのです。

 カインは神様に顔を伏せて生きてきた自分を見つめ、そこから悔い改め、神様との回復を願いました。私たちは、神様に顔を伏せて生きる自分を、見つめているでしょうか。悔い改め、神様との関係の回復を求めているでしょうか。

 神様は「カインを殺す者は、だれであれ七倍の復讐を受けるであろう。」(15)と語ります。神様もカインとの関係の回復を願っていました。愛されていました。神様は人間を愛されています。そして、関係を回復することを願っているのです。関係の回復は神様ご自身から与えられるのです。神様の御言葉によって与えられます。

 「主はカインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように、カインにしるしを付けられた。」(15)

 このしるしは、神様がカインと関係を回復するために与えられた、回復のしるしです。関係の回復は、神様とイスラエルとの間に与えられ、神様と私たち人間の間にも、新しい契約として与えられます。それは、イエス・キリストによって、神様と人間の関係は回復されたのです。

 私たちは「わたしの罪は重すぎて負いきれません」と嘆き、祈り、悔い改めの中で、イエス・キリストの十字架を感謝して頂き、神様との関係を受け取って行きたいと思います。私たちも、神様から与えられた「しるし」イエス・キリストを受け取り、神様との関係の中で生きていきましょう。

 

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コメント: 1
  • #1

    316 (土曜日, 31 3月 2018 09:34)

    このときあかしに導いてくださった主と、その召しに与り伝道している筆者に心から感謝いたします。本来イエス様におもてをあげて生きられないほど罪深い私ですが、救われた感動を思い起こしながら右にもまがらず左にもまがらず歩いていこうと思います。
    改めてありがとうございました。