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2013.11.27 「箱舟に入りなさい」 創世記6:9-22

1.      ノア ( 創世記 6:9-13 )

 ノアの箱船の物語です。ノアの説明に聖書は「ノアは無垢な人」で「ノアは神と共に歩んだ」(9)と記しています。ここで「無垢」であることは「完全、傷のない、責められるところのない」ということを意味します。「完全であり」、「傷のない者」、「責められるところのない者」とされる「無垢な人」ノア。それが「神様と共に歩んだ人」です。

 神様と共に生きるとは・・・わたしたちが神様に向かっていくことではなく、神様が共に生きてくださっていることを受け入れ信じることでしょう。どのような時にあっても神様を神様として、神様が隣にいてくださることを信じて生きる。神様を一番として、神様に従い、神様を信頼して生きる者。それが「無垢な人」、ノアです。

 そしてその反対、神様を神様としなくなった人びと、「堕落し、不法に満ちていた」(11)世界、「すべて肉なる者はこの地で堕落の道を歩んでいた」(12)、この状態を、神様はご覧になったのです。そして神様はこのように語りました。「すべて肉なるものを終わらせる時がわたしの前に来ている。彼らのゆえに不法が地に満ちている。見よ、わたしは地もろとも彼らを滅ぼす。」(13)

 

2.      滅ぼす ( 創世記 6:13 )

 神様は、「滅ぼす」ことを決められました。神様は「極めてよかった」(1:31)ものとして創造されたこの世を、神様が自ら「滅ぼす」ことを決められたのです。神様を神様としない者、「堕落と不法に満ちた世界」を「滅ぼす」のです。

 ここには、神様の人間への関わり方が記されています。神様は「この世」に「人間」に対して、憎しみ、殺意をもって滅ぼしたのではないでしょう。むしろ人間の堕落を悲しみ、悔い改めを願った行為、「堕落と不法に満ちた世界」を「滅ぼす」行為です。

 神様はこの世に対して「無関心」であったわけではないのです。神様は、意志をもって、人間にかかわり、喜ぶこともあれば、悲しむこともあり、痛み苦しむこともあれば、人間の「堕落」を嘆くこともあるのです。マザー・テレサの言葉に「愛の反対の言葉は憎しみではない無関心だ」という言葉もあるように、神様は愛を失ったのではなく人間にかかわり続け、悔い改め、立ち返らせるためにも、「滅ぼす」行為を選ばれたのです。

 神様は「堕落と不法に満ちた世界」を「滅ぼす」こともできれば、「悔い改める者」を「神様に立ち返る者」を「救い出す」こともできるのです。ここで、神様は人間を滅ぼす決意、堕落した者を終わらせる時が来たと示されたのです。

 

3.      箱船 ( 創世記 6:14-16 )

 神様はノアに「箱船」を造るように命令します。箱船は、モーセがナイルの川に置かれた「かご」と同じ意味を持つ言葉で、救済の言葉です。神様は、救済の「箱船」を造るように教えます。

 「箱船」は帆もなければオールもない、水の上を漂う「箱」の船です。自分で進むこと、行く先、方向を決めることができない「船」。すべてを天に任せる「かご」です。ノアはそのような「箱船」を造り、入りなさいと教えられるのです。つまり、すべてを神様に委ねて、神様の御手に委ねて従いなさいと教えるのです。

 「箱船」を造り、「箱船」に入るとは、まさに、行く先、行く方向、すべてを神様に委ねる決心をして、歩みだしなさいということです。

 

4.      洪水 ( 創世記 6:9-13 )

 神様は地上に「洪水」をもたらし、地上を滅ぼすと語ります。

 この2年半前に東日本大震災がありました。ここでこの神様の洪水をどのように聞くことができるでしょうか。

 「この世界が腐敗していることをわれわれは知っている。我々の貴重な生の世界が崩壊しており、終息していることを、われわれは周知している。危険にさらされた生を生きていることを我々は承知している。我々の誠実さが世界の存続を保証するかどうかは明らかではないが、我々の背信が我々の生ばかりか、我々をとりまく生をも消滅させてしまうであろうことは明白である。・・・世界は確かに崩壊する。間違いなく世界は、たとえ神の支配の下にあったとしても、終わる。イスラエルは、それが神の意志であると確言する。・・・

 神は考えを変えられるであろうか。多くの人々は、あたかも神が・・・世界で行われているどのようなことに対しても無関心であるという見方をしている。・・・しかしながらイスラエルの神は完全に人格であり、不快に思うこともあれば喜び祝うこともあり、全く自由に応答し、行為もする・・・神はその意志を変えることがおできになり、それゆえに神はご自身のお造りになったものを見捨てることができる。同時にまた、有罪と宣告された者を救うこともできる。」

 W.ブルックマン『現代聖書注解 創世記』向井考史訳,日本キリスト教団出版局 1986,p..145ー146)

 今回の洪水でわかったことは「堕落と不法」、日本の放射能汚染の恐ろしさでした。神様の洪水があってもなくても、この世界は「堕落と不法」の中に崩壊していったのではないでしょうか。その現実の恐ろしさを教えられたのです。神様は腐敗した、この世に無関心ではなかったのです。洪水の中にあって「箱船に入りなさい」と教えられているのではないでしょうか。わたしたちに「箱船」を造り、主に委ねる決心をして歩みだしなさいと教えられているのではないでしょうか。

 

5.      イエス・キリスト

 わたしたちが「箱船」に入ることは、イエス・キリストに留まること、主イエス・キリストを受け取ることです。

 神様は、この世にかかわり、「堕落と不法」を打ち破るために、イエス・キリストをこの世に送られたのです。そして、神さま自らが人間の腐敗を背負い、同じところに立たれたのです。

 「洪水」によって起こされた「滅ぼす」道を、「イエス・キリスト」自らが「十字架」の上で受けられたのです。これがイエス・キリストの十字架です。神様は、御子イエス・キリストによって、私たち人間の「堕落と不法」、その「罪」を背負ってくださったのです。わたしたちは、このキリストによる赦し、その箱船を受け取って歩みだしたいと思います。