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2014.5.25 「人を愛する神の御言葉」 マルコによる福音書7:1- 23

 イエス様は、悪い思いは人間の心から出て、人間を汚すと言います。確かにその通りだと感じます。世間を眺めてみても、自分のこれまでの人生を考えても、人間の罪、その心の悪は、人間のお互いをけがし、そしてそこからまた悪が生まれる。そのことを感じさせる毎日が続いています。なんでこのような世界なのだろう。これからどうすればいいのだろうか。これは神様なしでは答えはみつからない問いでしょう。

1:  食前の出来事

 昔からの言い伝えは律法から派生したユダヤ人の掟として、食事の前に手を洗うことは厳しく守られるべきことであったのでしょう。手を洗うことは、小さな言い伝えかもしれませんが、それがすべてに通じる大切な掟として、人々は厳しく守っていたのです。

 このような昔からの習慣、言い伝えだけを物差しにしていくときに、それは、すべての人間を同じ角度だけから見てしまう、いわゆる律法主義的な目線としてしまうことになる危険性をもっているでしょう。

2:  食事の前のイエス様

 イエス様が食事の前になされたことは、神様の前にへりくだり、食事を神様からの恵みとして受け取り、賛美して祈りをもっていただくことです。食べ物が備えられた感謝。隣の人と共にいただく感謝で、日々生かされている感謝。そしてまた、食べ物となる動物、植物が神様に守られている感謝、命のつながりの感謝が与えられます。それは、神様の前に自分がへりくだること、そして多くの人々、その社会に世界にあって共に生かされている命であることを覚えることができます。

3:  心のうちに来てくださったイエス様

 確かに、人間から出てくるもの、それはどんなに自分勝手で、自己中心的な多いのでしょうか。人間の罪、その悪い思いに触れるとき、私たちはどれほど苦しい気持ちになるのでしょうか。

 神様は、このような私たちの心のうちに来てくださったのです。神様は、私たちの心の中が、悪い心で埋め尽くされているのを知りました。そしてだからこそ、そこにイエス・キリストを送ってくださったのです。イエス・キリストの十字架は、神様が命をかけた出来事です。その命の出来事、愛の出来事を通してただ悪い気持ちを造るところであった、私たちの心は、愛を知ったのです。主イエス・キリストが来てくださることによって、私たちの心は愛を造りだすところへと変えられたのです。

4:  新しい心

 私たちはこの十字架のイエス・キリストに心を明け渡して、心を新しくされていきたいと思います。神様から新しい心、感謝する心、喜ぶ心、祈る心、そして共に生きるという心、愛することを教えられていきたいと思います。愛する心をいただいていきましょう。