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2014.9.21 「はっきりと見える神様の愛」 マルコによる福音書8:22-26

1:  ぼんやりと見る者

 今日の箇所は、イエス様の癒しとしては、とても珍しく2段階の癒しが記されているのです。

 盲人は癒されました。しかしその1回目の癒しによってはぼんやりとした見え方でしかなかったのです。主イエスの癒しがありました。主は十字架によって、すでに私たちに愛を示されたのです。しかし、私たちは、いまだ、その主の愛を見ることができていない、むしろ、神様を見ようともしていない者としていないのではないでしょうか。わたしたちは、神様をぼんやりとしか見ない者として生きていないでしょうか。

 

2:  主権的救いと応答

 神様は、そんな私たちの目を開いてくださいます。つまり、2回目の癒しがあるのです。そこで「はっきりと見える」者とされるということです。神様からの信仰の招きがあって、わたしたちは、主イエス・キリストの十字架を見るのです。

 イエス様の十字架は、私たちに神様の愛を示されました。完全に開かれた目とは、その十字架をはっきりと見る者。そしてその十字架から与えられた神様の愛を受け取るものです。私たちは、この主の愛、そして招きに応答したいと思います。それが、わたしたちが本当にはっきりと神様の愛を見るということでしょう。

 

3:  主の愛

 神様の愛、その恵みの大きさ、そしてその意味は、盲人を癒す主イエス・キリストの姿に現されています。盲人の目を開くために、主はそこに手を差し伸べ、両手をその目に当てられて癒されました。イエス様は、自らを差しだし、癒しを為されたのです。主イエス・キリストは、自らを差し出し癒してくださいました。わたしたちは、その触れ合い、関係のうちに、神様の真実の愛を見ることができるのだと思います。

 

4:  目を開いていただいた者の役目

 神様は、このように、イエス・キリストの十字架と復活を通して、私たちの目を開いてくださいました。はっきりとその愛を示されたのです。神様は、私たちに十字架を示し、そしてその愛へとわたしたちを招かれているのです。

 私たちの、これからの役目も今日の箇所には記されています。今日の箇所において盲人は独りでイエス様のところにきたのではありませんでした。人々が、盲人をイエス様の御許に連れてきたのです。盲人に触れてほしいとイエス様に願った人々の姿、それがこれからの私たちの与えられている姿でしょう。

 私たちは、この主イエスの愛に応答したいと思います。わたしたちは、すべてを主イエス・キリストの十字架に委ねて、隣人と共に、その恵みをいただいて、神様の御許に共に歩みだしたいと思います。