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2014.10.5 「十字架を背負って生きる」 マルコによる福音書8:27-9:1

1:  待ち望む救い主

 ここ数年の世界を見るときに、本当に戦争の絶えることのない世の中であると感じます。私たちは、その戦争の中心にいる国が、力ある国、力をもっている国と感じているのかもしれません。今から2000年くらい前のイエス様の時代もそういう意味では、人間たちの考えている姿は同じだったのかもしれません。イスラエルの人々はイスラエル国家をローマ帝国の支配下から打ち破るそのようなメシア、救い主を待ち望んでいたのです。それは弟子たちも一緒だったでしょう。イエス様に招かれた弟子たちが思い描いていたイメージも、当時のイスラエルの人たちが考えていたものと変わりはなかったのだと思います。

 

2:  イエスは誰であるか

 イエス様は、弟子たちに「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」(27)と尋ねられます。

 ペトロは「あなたは、メシアです」と告白します。しかしまた、ペテロは、この「メシア」という意味を正しくは捉えていなかったのでしょう。最初にみたように、弟子たちも、イスラエルをローマから解放するメシアを求めていたのでしょう。そして、だからこそイエス様は、このように考えている弟子たちに対して、すぐその後に、御自分が多くの苦しみを受け、人々に捨てられ、殺されることを語るのです。主イエスの十字架の苦難と死とが、神様の救いの御計画には必要不可欠なことである。それ以外の方法では人々に救いはもたらされないと教えられたのです。

 

3:  自分を捨てる

 「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(34)イエス・キリストの十字架とは、私たちの罪のためにありました。私たち自身の十字架は、すでにイエス・キリストによって背負われたのです。それでは私たちの背負うべき十字架というものは、何なのか。それは「敵」とも思われる、他者、隣人としっかり向き合い他者の背負っている痛み、苦しみを担うこと、そして祈ることではないでしょうか。

 

4: 自分を捨て、十字架を背負う道

 主は十字架の後、3日後に復活されました。主イエス・キリストは、その死の内に、新しい命を与えられたのです。つまり死の内、他者にへりくだる道、人に仕える道に、本当の命の意味を受けると教えているのです。私たちは、今この時、もう一度へりくだりの道、そして他者に仕える道を見出したいと思うのです。