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2015.7.8 「ヤコブの脱走」 創世記31:1-21

1 ヤコブ帰還へ

 ヤコブはラバンに言いました。「わたしを独り立ちさせて、生まれ故郷へ帰らせてください。」(30:25)ヤコブはヨセフが生まれてから、生まれ故郷、イサクのもとに帰りたいと願っていました。しかし、その後もラバンとの駆け引きは続きます。ラバンは「もし、お前さえ良ければ、もっといてほしいのだが。実は占いで、わたしはお前のお陰で、主から祝福をいただいていることが分かったのだ」と言い、更に続けて、「お前の望む報酬をはっきり言いなさい。必ず支払うから」と言いました。(27-28)

 ラバンはできる限りヤコブを働かせようとしました。またヤコブは自分が一家の主人となることを願っていました。ヤコブもラバンもお互いの知恵を使って策略を講じたのです。その結果は、どれほど知恵を使っても、ヤコブの財産は豊かになるばかりです。ラバンの息子たちは「ヤコブは我々の父のものを全部奪ってしまった。父のものをごまかして、あの富を築き上げたのだ」(1)と言い、ラバンの態度も以前とは変わっていた・・・つまり冷たくなっていたのでしょう。

 ヤコブを「お前は、本当にわたしの骨肉の者だ。」(29:14)と迎え入れたラバンでしたが、この時の態度は変わっていたのです。多くの子どもを得て、多くの財産を得たヤコブに恐れを抱いていたのかもしれません。


2 神の招き 合図

 ヤコブは自ら帰りたいと願いながらも、なかなか実際には動き出せないでいました。そのような中で、今日の箇所では神様がヤコブを招かれるのです。神様の導きが与えられるのです。

 神様の約束、故郷に帰る時が来たのです。神様の招きを受けたヤコブは、これまで動き出すことのできなかった中で、一歩前に進みだすのです。確かにラバンとの確執、ラバンの息子たちとの確執と、ヤコブはこの地において居場所を失いつつありました。ただヤコブはその人間関係の問題だけで一歩進みだしたのではありませんでした。神様の導きを受けてヤコブは歩き出すのです。ヤコブは帰還するための神様の招きを受けました。それはまた、帰還するための神様からの合図であったとも言えるでしょう。ヤコブはこの神様の合図を受け取ったのです。聞きもらすことなく、神様からの招きの時を知ったのでした。そしてその言葉に応えて歩き出す準備をして、待っていたのでしょう。

 

3 レアとラケルとの相談

 ヤコブは、この神様の言葉を受けて、妻のレアとラケルと相談しました。(4-13)「最近、気づいたのだが、あなたたちのお父さんは、わたしに対して以前とは態度が変わった。しかし、わたしの父の神は、ずっとわたしと共にいてくださった。」(5)「わたしをだまして、わたしの報酬を十回も変えた。しかし、神はわたしに害を加えることをお許しにならなかった」(7)「神はあなたたちのお父さんの家畜を取り上げて、わたしにお与えになったのだ。」(9)

 レアとラケルはヤコブの相談に答えます。「ラケルとレアはヤコブに答えた。『父の家に、わたしたちへの嗣業の割り当て分がまだあるでしょうか。わたしたちはもう、父にとって他人と同じではありませんか。父はわたしたちを売って、しかもそのお金を使い果たしてしまったのです。神様が父から取り上げられた財産は、確かに全部わたしたちと子供たちのものです。ですから、どうか今すぐ、神様があなたに告げられたとおりになさってください。』」(14-16)

 ここで言う「わたしたちへの嗣業の割り当て分」とは相続する財産のことで、また「わたしたちはもう、父にとって他人と同じではありませんか。父はわたしたちを売って、しかもそのお金を使い果たしてしまった」とは父ラバンがもはやレアとラケルをヤコブのもとから買い戻す意志のないことを示した言葉です。レアとラケルはラバンのもとから離れ、約束の地、イサクのもとへ帰ることを勧めます。この姿はラバンの息子たちと対比して見ることができます。ラバンの息子たちは、ラバンの財産を受け継ぐ者として、そこで財産を増やすヤコブを疎んじました。しかしレアとラケルはすでにラバンから離れ、ヤコブの一家の者として答えるのです。これはレアとラケルにとっても新しい一歩を踏み出す時となったでしょう。これまでの家族から、新しい家族ときちんと向き合うための大切な一歩です。


4 脱走

 ヤコブはレアとラケルの言葉を受け「直ちに」逃げ出すのです。そのときにはすでに準備は万全でありました。ここにもヤコブの賢さを見ることができます。ヤコブはラバンのもとを逃げ去ります。「パダン・アラムで得たすべての財産である家畜を駆り立てて、父イサクのいるカナン地方へ向かって出発した。」(18)ヤコブの出発の時、それはラバンが羊の毛を刈りに出かけていた時、ラバンのいないときでした。ラバンのいないとき、そして逃げることを悟られないようにして、ラケルは「父の家の守り神の像」を盗みだし、ヤコブ自身も「すべての財産を持って逃げ出し」たのでした。

 この地、ハランにやってきたときに、ヤコブは全くの無一文でした。そのヤコブが多くの家族、多くの財産を得て、そのすべてを持って逃げ出したのでした。この「逃げ出す」ことは兄エサウのもとから逃げ出したように、同じくラバンのもとからも「逃げ出した」のです。そのヤコブの人間性は変わっていないのでしょう。それでも、エサウのもとから逃げ出した時とは大きく違い、多くの財産を得て、家族と共に逃げ出したのです。ヤコブという人間は変わることはありませんでした。知恵を持ち、策略を立て、財産を得ようとする。そのようなとてもずる賢い人間性を持つ者です。それでもエサウのところから逃げ出すように、財産をすべて捨てなければいけないときもあれば、今回のように多くの財産を受け取ることもあるのです。そこには人間の限界性を見ることができます。

 今回は、神様の導きに従った歩みの始まりでもありました。ヤコブが神様の招かれる道に帰るときでもあります。ここではいまだその人間性は変わっていません。しかしこのヤコブが変えられる道へ歩みだした時と言えるでしょう。神様はヤコブを招かれた。そしてヤコブはその招きに応えて歩き出したのです。