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2015.7.12 「命の木と知識の木」 創世記2:8-17

 神から造られた「被造物」である人間の定めは、神の造られた世界の中に生きること、しかも、他の被造物たちと共に生きることである。

1.豊かな環境に置かれている人間

 8節に「主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地にはえさせ」とある。私達がそこに置かれた環境世界は良いものであると言う。そうだろうか?「地上にはまだ野の木も、野の草もはえていなかった。主なる神が地上に雨をお送りにならなかったからである」とあるように。イスラエル人が住んでいた土地には、しばしば、旱魃があり、害虫に穀物が根絶やしにされる。人生は、実に過酷であることを彼らは知っていた。しかし、人間の運命は、神から「肯定され」、豊かな恵みの中に置かれているという。

2.環境世界 水に囲まれて。

 「エデンから一つの川が流れ出ていた。園を潤し、そこで分かれて、四つの川となっていた」。現在のアルメニア山地あたりのイメージなのか。そこから、四つの大河が流れ、エデンの園は豊かな環境にあると想定されている。

3.使命・課題を与えられて

 15節では、人は、エデンの園を「耕し・守る」という使命・課題が与えられていると言う。そして、食べ物が豊かに与えられ、「園のすべての木から食べること」(16節)が許可されている。この豊かな許可、溢れる恵みを忘れて仕事・使命に生きようとすれば、どこかギスギスした仕事人間、燃え尽き症候群に襲われる。他方、豊かさの中で生きてはいても、人生の使命・課題を失うと、ある程度は豊かではあるが、生き生きと生きられなくなる。

4.禁止命令

 古代の信仰者は、人には禁じられているものがあると感じていた。自由が与えられているが、何をしても良いわけではない。今日、人の知識は神の領域に達したと思うほどに優れたものである。しかし、それでも人には、分からないこと、自由にならない禁じられた領域がある。禁止のない豊かさ・使命は必ず暴走し、自分を傷つけ、他者と世界を傷つけることになる。逆に、豊かな許可への洞察と自由のない禁止は、ギスギスした律法主義、型にはめ込む支配を産みし、結局人の想像力を枯渇させる。何かが禁止され、境界線が引かれているからこそ、人は神を怖れ、その制限の中で自由に生きることができる。

5.命の木と知識の木

 イスラエル人は、彼らがもっぱら「知識」を求め、生きられなくなってしまったことを悔い改める視点からこの物語に耳を傾ける。人には、いのち・愛と育むことと知識を育むことの両方が必要なのである。知識が高慢となり、自分と他者を傷つけうることを恐れて歩みたい。(松見俊)