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2015.9.30 「再びベテルへ」 創世記35:1-15

1 巡礼の道

 神様はヤコブに「ベテルに上り、そこに住みなさい」と言われました。「上る」とは巡礼のときに使われる言葉でもありました。今日の箇所は、イスラエルの民がベテルを信仰の中心的存在として考える意味を強める言葉でもありました。この「ベテル」はヤコブが兄エサウから逃げ出したときに、神様が現れた場所です。これまでの長いヤコブの人生において、一番苦しく、孤独のうちにあったときに神様が現れた場所「ベテル」「神の家」に帰るのです。

 そしてベテルに祭壇を造り、礼拝をすること、それはまさにイスラエルの民にとって巡礼の意味を、信仰の苦しみ、人生の痛みから礼拝に向かうという大きな意味を教えるのです。巡礼、礼拝とは、苦しみからの解放に導かれる道であり、信仰を取り戻す道であったのです。


2 汚れから清め

 ヤコブは神様の御言葉を受けて、その家族のもの、そしてすべての人々にその言葉を伝えます。これはヤコブが神様の御言葉の伝達者であることを表します。ヤコブは神様から「ベテルに上り、祭壇を造る」という命令を受けて、自分たちが「汚れ」から「清める」者となってベテルに上るように語ります。「ベテル」「神様の家」に上るための準備です。

 この前の箇所34章では、「汚れ」を中心とした話となっていました。この「汚れ」からの「清め」です。ヤコブは清めのために、「外国の神々を取り去る」「衣服を着替える」ことを命令しました。これは異教の神々を放棄すること、そして新しく着ることを教えています。清めのために、「古いものを脱ぎ捨て」「新しく着る」のです

 これは新約聖書の言葉にもつながるものです。「だから、以前のような生き方をして情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。」(エフェソ4:22-24)「古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け」ること、これは新しい信仰の始まりを意味します。ヤコブは一切のこれまでの「古きもの」「汚れ」を取り去り、新しいものに着替えるように教えるのです。

 そして、「ヤコブはそれらをシケムの近くにある樫の木の下に埋めた。」(4)のでした。木の下に埋めた。それは古きもの、いわゆる異教的神々を象徴するもの、わたしたちの「罪」を表すものを埋めたのです。この意味は様々な意味が考えられますが、一つには「埋める」ことは、キリスト者にとっては「キリストによって覆われる」ものであるという意味も見ることができるのではないかと思います。

 いつでも掘り出してしまうもの、それでも何度も埋め続けなければならない。キリスト者は罪に誘惑されているが、そのすべてがキリストに覆われていく。違う意味では神様の前にあってその罪はなくなったのではなく、キリストが覆い隠してくださっている。キリストが覆い、執り成してくださっているものであるということです。古きものを脱ぎ捨て、新しいものを着る。そして古きものは、キリストによって覆われたのです。


3 名前の変更

 神は彼に言われた。「あなたの名はヤコブである。しかし、あなたの名はもはやヤコブと呼ばれない。イスラエルがあなたの名となる。」神はこうして、彼をイスラエルと名付けられた。(10)ヤコブの名前の変更は以前のペヌエルの箇所において一度語られた事柄です。

 ヤコブは神様と「顔」と「顔」を合わせて祝福をいただきました。その象徴的出来事として名前の変更「ヤコブ」から「イスラエル」とされたのです。そしてここでもう一度その出来事を教えます。名前の変更は「人格の変更」であります。その人間が新しい人格として歩み始めることです。ヤコブは新しい者として「イスラエル」とされたのです。「古きもの」を捨て「新しいもの」を着たのです。新しい者、信仰者としての生き方を受け取ったのです。


4 アブラハムからの祝福の継承

 神は、また彼に言われた。「わたしは全能の神である。産めよ、増えよ。あなたから一つの国民、いや多くの国民の群れが起こり、あなたの腰から王たちが出る。わたしは、アブラハムとイサクに与えた土地を、あなたに与える。また、あなたに続く子孫にこの土地を与える。」(35:11-12)

 これはアブラハムからの信仰の継承を意味する言葉でした。17章を見てみます。

 アブラムが九十九歳になったとき、主はアブラムに現れて言われた。「わたしは全能の神である。あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい。わたしは、あなたとの間にわたしの契約を立て、あなたをますます増やすであろう。」アブラムはひれ伏した。神は更に、語りかけて言われた。「これがあなたと結ぶわたしの契約である。あなたは多くの国民の父となる。あなたは、もはやアブラムではなく、アブラハムと名乗りなさい。あなたを多くの国民の父とするからである。わたしは、あなたをますます繁栄させ、諸国民の父とする。王となる者たちがあなたから出るであろう。わたしは、あなたとの間に、また後に続く子孫との間に契約を立て、それを永遠の契約とする。そして、あなたとあなたの子孫の神となる。わたしは、あなたが滞在しているこのカナンのすべての土地を、あなたとその子孫に、永久の所有地として与える。わたしは彼らの神となる。」

 神様はアブラハムを祝福されました。この時、アブラハムも「アブラム」から「アブラハム」と名前の変更がなされました。同様に名前の変更をされ、新しく生きる者とされたのです。その祝福をヤコブが、そしてイスラエルの民が継承していることを表すのです。

 

5 新しくされた者

 この新しくされた者としての出来事は、キリスト者がバプテスマを受けることに並行したものとなります。キリスト者はこれまでの一切を投げ捨て、新しい命、新しい人格を得て生きるのです。投げ捨てるべき「異教の神々」とは、現在の私たちにとってはどのようなものとなるでしょうか。そしてわたしたちはキリストを「新しく着る」のです。