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2015.12.27 「できる限りのことを」 マルコによる福音書14:1ー9(要約)

1:  愛がなければ

 今日の箇所で、一人の女性がこの非常に高価なナルドの油をイエス様に注いだのでした。この行為を弟子たちは厳しくとがめたのでした。自分の財産を貧しい者のために使うことを促す、そのような弟子たちの言葉は、とても大切な倫理感が含まれているのだと思います。

 しかしイエス様は、イエス様はこの女性の行為を認められたのです。なぜ認められたのか。それはイエス様が、この女性の行為に、愛を見たからではないでしょか。そこに「愛がなければ・・・」。聖書の教える行動規範は、そこに「愛があるかどうか」です。イエス様は、ナルドの香油をイエス様に注ぐという行為に、愛を見たのではないでしょうか。この油を注ぐ女性の行為には愛が詰まっていたのです。

 

2:  キリストの十字架を想いつつ

 イエス様は、「この人はできるかぎりのことをした」と言いました。「できる限りのことをした。」この言葉の意味を考えますと、「彼女は持っているすべてを献げた、自分の力のおよぶ限りのことを、イエス様のために行った」と受け取ることができます。

 この女性の行為の中心に、この奉仕の源泉に、これから起こるイエス・キリストの十字架があったのでしょう。イエス・キリストの十字架は、人間の考え方を逆転させる出来事です。十字架が教える価値観。それは弱く、貧しい者のうちに強さがあるということです。十字架の出来事は、人間の価値観を逆転させます。「弱いときにこそ、強い」。これが私たちに与えられた十字架による価値観です。自分の大切な香油をキリストに注ぐ。それは、この女性が、自分中心に生きることから、イエス・キリストに仕えて生きていく道に歩き出した時でした。

 

3:  キリストの十字架を基とした行為

 十字架に基づき、十字架を土台として、十字架を想いつつ行われた行為。神様の愛を土台とした行為は福音を表します。福音が宣べ伝えられるところでは、同じように十字架を土台とした愛の行為が行われるのです。しかも、宣べ伝えられるのは、この人の名前でも、名誉でも、信仰やその行為のすごさでもありません。この時なされた女性の行為に表された十字架の出来事、神様の愛が宣べ伝えられるのです。福音として、神様が人となり、弱さを強さとされる出来事が宣べ伝えられるのです。