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2016.6.5 「救いを受け取る」 (要約) マルコによる福音書15:6-15

1:   キリスト教の根幹

 キリスト教が教えていることは、最初に「愛しなさい」ということではなく、まず「神様の愛を信じなさい」ということです。神様の愛は私たち人間の思いを越えているということを教えているのです。私たちが思って以上に私たちは愛されているということ。私たちが知ることができるのは、この地上においてはほんの一部分であるということです。

 その一部分を知り、神様の愛を見る時に、神様の愛を信じることを信仰というのでしょう。

 

2:  ピラトの判断

 群衆の叫びが大きくなる中で、ピラトは、自分が「無罪」と宣言した、自分の主張に、立ち続けることはできませんでした。群衆を満足させるために、イエス様を十字架につけるという判決を下しました。ピラトは、群衆という大きな叫びに対して、自分のもつ考えを捻じ曲げたのです。ピラトの仕事は、ローマの総督として、この地域一帯を治め、暴動や騒動をなくすことです。ピラトは、自分のために、そしてローマのために、無罪なイエスではなく、罪人バラバを釈放することを選んでいくのです。このピラトの姿は、私たちの弱さを表しているでしょう。

 

3:   イエス・キリストの十字架

 神様は、私たちを愛された。イエス・キリストの十字架によって、その愛を示されたのです。私たちが神様を愛したのではなく、まず神様が、私たちのことを見つめてくださったのです。私たち人間は、この世的権力、名誉、財産に頼り生きていく。しかし神様はすべてを捨てられた。命までも。そしてそのことによって、私たちに愛を示されたのです。

 

4:   バラバの釈放

 イエス様の十字架で、直接救われたのは罪人バラバです。バラバは、この救いを理解していたでしょうか。バラバは、なぜ、誰によって、どうして、救われたか、理解していたのでしょうか。私たち人間は、このバラバなのです。なぜ、どうして、救われたのか。この救いの出来事を見ることも、知ることもなく、ただイエス様の十字架をながめているのではないでしょうか。

 私たちの生きている現実に神様の愛は注がれているのです。私たちは、神様の愛を見ているでしょうか。私たちは神様の十字架という死を通して示された愛を、見出そうとしているでしょうか。私たちはこの神様の愛を知り、受け取るために一歩進みだしていきたいと思うのです。信仰は、すでに愛されている神様の愛の深さを信じて飛び込むことです。