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2016.10.26 「ヨセフの死・結び」 創世記50:22-26

1 ヨセフの死

 ヨセフの死の場面は不思議なことが多く記されています。まず、この場面は、ヤコブの死に似せて記されています。似せられた文章であるからこそ違いが見えてきます。違いの一つとしてヤコブは約束通りすぐに先祖代々の墓に納められました。しかし、ヨセフは防腐処置をして棺に納められて終わっているのです。

 ヤコブはイスラエル人その象徴的存在でした。ヨセフはエジプトの支配者としての姿があったのです。エジプトにとどまり、そこから脱出し約束の地に戻される。このヨセフの姿がイスラエルの民そのものを映し出しているようにも見えるのです。

 

2 泣いた者は?

 ヤコブの死の場面との違いとして、ヨセフのために喪に服した者、悲しんだ者、泣いた者がいたとは記されていません。ヨセフの死は周りに生きる者にとって何だったのでしょうか。

 

ヨセフは神様の御心のうちに、苦しみのうちにも生かされて、最後は結果として兄弟を守ったのです。しかし兄弟たち、またエジプトの者たちからすれば、自分たちを支配する者としてしか映っていなかったのでしょうか。

3 満ち足りていた?

ヨセフは死のときに、これまでのアブラハム、イサク、ヤコブのように、満ち足りていたのでしょうか。「アブラハムは長寿を全うして息を引き取り、満ち足りて死に、先祖の列に加えられた。」(創25:8)イサクも「高齢のうちに満ち足りて死に、先祖の列に加えられた。」(創35:29)のです。「満ち足りた死」とはどのようなものなのか考えさせられます。「満ち足りた死」それは、人間の計画、目的、目標を終えたのではなく、神様の計画を信じて召されたということではないでしょうか。そういう意味で、ヨセフの死は終わりではないのでしょう。これからイスラエルの民が出エジプトを終えて約束の地に戻ってきたときに、神様の計画のうちに「満ち足りた」ものとなるのではないでしょうか。

4 顧みてくださる

 ヨセフはその「死」に悲しむ人もおらず、さみしく、むなしい死かもしれません。そんなヨセフの最後の言葉はこのようなものでした。「神は必ずあなたたちを顧みてくださる」(創50:24-25)

ヨセフは人間的には、エジプトの支配者であり、父も兄弟もひれ伏す者となったのです。だからこそ、そのような支配者としての存在になったために悲しむ者はいなかったのかもしれません。ヨセフは死を前にして「神は必ず顧みてくださる」という信仰の言葉を語ったのです。

 顧みてくださる神様がおられると信じぬく時、私たちは生きる意味を考えさせられるのではないでしょうか。