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2017.5.7 「心の貧しい者は幸いである」 (要約) マタイによる福音書5:1-3 

1:  山上の説教  

 イエス様は群衆を見て、山へ登られました。そこで「山上の説教」とされる教えを語り始められたのです。山上の説教は誰に向けて語られたのでしょうか。弟子たちが近寄ってきたということから弟子たちだけに向けて語られたとも考えられます。

 しかしイエス様は山上の説教を群衆に向けて語られた、すべての人間に向けて語られたと読み取りたいと思います。すべての人間がイエス様の弟子として呼び寄せられており、すべての人間がイエス様の御許に歩み寄る権利を持つ弟子でもあるのです。

 山上の説教の内容を、一言で言いますと、「律法の完成、成就のための教え」と言えるのではないかと思います。律法からの解放を与え、本当の律法の完成を教えられたのです。

 

2:  幸いなるかな

 イエス様は「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。」(3)と教えられます。「貧しい者」とは「何も持つことのない者」を指しています。つまり、「心も、霊も、魂においても、何も持っていない者、人間として生きていく力を失った者」を指しているのです。ここでは「幸せ」は、何も持っていなくても、誰であっても、無条件の救い、恵みが与えられていることを教えています。

 

3:  心の貧しさを知った者

 なぜ貧しい者が幸せとなるのでしょうか。一言で言いますと、「貧しい心には、神様を迎え入れるだけの場所があるからだ」と言うことができます。「自分が貧しいと知った者、自分は頼みとするものも、誇るべきものも、何もないことを知った者」です。本来すべての人間が、いつも、どこでも、何をしていても「貧しい者」なのです。神様は貧しい者を顧みてくださるのです。しかし、そのことを人間が認めなければ、そこに神様の愛も入ることはできないのです。心も魂も打ち砕かれた者は、神様の御言葉に耳を傾けるしかない。自分の貧しさを知ることが、「悔い改め」へとつながるのです。

 

4:  貧しさの中に来られた方

 神様はイエス・キリストをこの世に送ってくださいました。それは、神様が貧しい中に来られたことを意味します。イエス・キリストは、力なく、小さな赤ちゃんとして、馬小屋で生まれたのです。そしてその死は、まさに貧しさの頂点として死んでいかれたのです。主は貧しい者の代表者となられたのです。私たち貧しい者、何も持たない者が幸せなのは、ただ、この主の十字架による救い、神様が私たちを愛してくださっているという恵みによるのです。神様は無から有を創造されました。私たちが絶望だと感じた時、そこから神様の希望が始まるのです。私たちは神様により頼む者として歩んでいきたいと思います。(笠井元)