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2018.11.11 「魂の休息」(要約)  マタイによる福音書11:28-30

1:  新鮮な命の力

 神様は、わたしたちに「休ませてあげよう」と招きます。「休ませてあげよう」という言葉は、別の訳で「新しい、新鮮な命の力を与える」と訳しています。内容としては「新しい命の力を与える」という言葉のほうが、わかりやすいでしょう。以前、園児から「祝福ってなんだろう」と質問されたことがありました。新しい命の力を与えてくださる。それが「神様の祝福」と言うことができでしょう。

 

2:  休むことができない

 現代の私たちは「休むことができない」社会に生きているのではないでしょうか。ニュースでは「過労死」または「過労による心の病」に陥っていくことが問題として挙げられます。「休むことができない」。そのような私たちに神様は「休ませてあげよう」と招かれます。

 

3:  重荷とは

 「休むこと」ができないという現実は、今日の言葉に「重荷を負う者」とありますように「重荷を負っている」ことを意味します。私が大きな問題として考える「重荷」の1つは「孤独」、もう1つは「生きる意味の喪失」です。「孤独感であふれ」「生きる意味を見失った」とき、心は奥底から枯渇してしまうのです。イエス・キリストは、そのような魂の枯渇、心の底からの叫びに応えて「あなたに新たな生きる力を与えよう」と呼びかけてくださるのです。

 

4:  キリストのくびきを負う

 イエス様は「わたしのくびきは負いやすい」と言われています。この言葉を理解する大前提として、わたしたち人間は、だれもが何かしらの「くびき」を負っているという前提があるのです。「くびき」とは言い方を変えると、私たちの生きる価値観ということです。そして「キリストというくびき」を負うことは、その生き方の中心に、「イエス・キリスト」をおくことを意味するのです。

 「くびき」とは、牛や馬などの首にはめる木のことで、大抵、家畜二頭にくびきを付けて、荷車などをひかせるのです。「キリストのくびき」とは、神様ご自身が、私たちと共に歩き、共にその重荷を負って下さるということです。

 

5:  神様の愛をいただく

 神様はすべての者に「愛」を注いでいるのです。私たちの隣には、イエス・キリストがいてくださるのです。私たちはキリストによる愛を受け、愛を実現するために生きているのです。ここに本当の喜びに生きる意味、生きる価値観、人生の意味を得るのです。私たちは神様の愛をたくさんいただいて生きているのです。私たちはこの神様の愛を表して生きていきましょう。(笠井元)