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2019.5.30 「悔い改めて立ち帰りなさい」 使徒言行録3:11-26

1: イエスの名による

 ペトロの第二の説教です。3:1からの癒しによって始まります。人々は、ペトロが癒す力を持つ偉大な預言者と考え始めていました。人々の尊敬のまなざしは、癒したペトロへと向けられていたのです。ペトロはこの自分への尊敬のまなざしは間違っている。癒しの出来事は自分の力や信心によるものではない。癒しは「イエスの名」によるものだと言います。

 

2: イエスを信じる信仰 

 16節で、この癒しは「イエスの名」によるものと同時に、もう一つ「イエスの名を信じる信仰」によると言います。1節からの癒しの出来事のところでは信仰については全く語られていません「癒し」が表す、神様の救いの出来事というのは、まず神様の一方的な恵みがあり、その恵みに応答していく信仰があるのです。

 1節からの癒しの場面では神様からの一方的な恵みが表されています。そして今日の箇所で、ペトロは説教において、イエス様による一方的な癒しだけではなく、その力を信じる信仰について語るのです。信仰を強調していくことは、「悔い改め」につながる大切な言葉です。ペトロは、続けてこの説教において「悔い改めて立ち帰りなさい」(19)と教えていくのです。 

 

3: 復活の証人

 ペトロは、「命の導き主」をあなたがたは拒み、殺してしまったと言います。ここでは十字架の出来事は、神様の恵みに対する「拒否」「罪」の出来事と言います。十字架の出来事は、神様が人間に寄り添った愛の出来事とか、私たちの痛みを知るためであったとか、無力の中に来られたというようなことは言いません。イエス様の十字架の死は、イエス様を拒む人間の不信仰によるもの、罪であると言うのです。そして同時に、この人間の不信仰を越えて、神様は復活という出来事によって救いをもたらしてくださった。ペトロは自分たちはその証人だと言います。

 

4: 悔い改めて立ち帰りなさい

 ペトロは、十字架によるイエス様の死は、人間の「無知」のためであったと言います。【主を畏れることは知恵の初め。無知な者は知恵をも諭しをも侮る。】(箴言1:7)人間が無知であることは、神様を畏れないで、その他を畏れることです。神様を畏れることを忘れてしまった無知な者として、人々がイエスを十字架につけたというのです。

 私たちは、このペトロの説教から、自分たちの自己中心的な様々な思いが、イエス様を十字架につけていることを覚えましょう。

 22節からはモーセの言葉、またサムエルを代表する預言者たちの言葉として、「イエス様の出来事を受け入れなさい」、「悔い改めて、立ち帰りなさい」と言います。ペトロはこの説教で、神様を拒む者、無知な者から立ち帰り、神様を畏れる者となるように教えているのです。(笠井元)