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2019.7.14 「愛をいただき、愛する者とされる」(要約) マタイによる福音書12:33-37

1:  間違えてしまう人間

 イエス様は【木が良ければその実も良いとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい。木の良し悪しは、その結ぶ実で分かる。】と言われたのでした。このイエス様の言葉は断罪するためではなく、「あなた方は間違っている」ということを教え、正しい道に立ち帰るために示された言葉なのです。私たちもイエス様に「あなたは間違っていないですか」と問われている者なのです。人間は間違えてしまうことがある。そしてだからこそ、人間にはイエス・キリスト、御言葉が必要なのです。

 

2:  口から溢れ出る言葉

 「言葉」は、神様からいただいている大きな恵みの一つです。神様は言葉をもって世界を造り、光を造り、私たち人間を造り、私たちの日々を守っていてくださっているのです。

 ただ、今日の箇所「つまらない言葉」は、別の訳では「不注意な」「軽率な」「無益な」言葉と訳されます。「つまらない言葉」とは、つまり「愛を生み出すことがない言葉」です。「言葉」は、人を癒し、支え、励まし、希望、愛を与えるものともなれば、間違って使えば、人を傷つけ、陥れ、惑わし、苦しめるものとなっていくのでもあります。「つまらない言葉」の心の中にあるのは、自分が正しい、自分は間違っていない、悔い改める必要はないという思いです。

 

3:  悔い改める

 イエス様は「悔い改めよ。天の国は近づいた」と福音を宣べ伝え始められたのです。ファリサイ派という人たちは、律法を守り、神様に仕えて生きていたのです。だからこそ、「自分たちは間違っていない」という思いを強く持っていたのでしょう。

 「悔い改めること」は、自分の心にイエス・キリストを迎えいれることです。私たちが陥りやすいのは心に「自分は自分の力で正しくなれる」という誘惑、悪霊を迎えてしまうことです。どんなに自分の心を整えても、自分の力のみでは心の底から聖い者となることはできないのです。私たちの心が清くされることは、ただイエス・キリストを迎えることのみよってなされるのです。

 

4:  愛をいただく

 私たちが心にイエス・キリストを迎える時、愛を受け取るのです。私たちが他者を励まし、愛し、支えていこうとすることは、とても大切です。しかし、頑張れば頑張るほど、自分の心が枯れてしまうことがあります。自分を愛して、他者を愛して、神様を愛していこうとすればするほど、心が苦しくなってしまうことがあるのです。私たちは自分で愛を造りだすのではなく、神様から注いでいただくのです。心のうちに聖い、愛の心を創造していただきましょう。

 愛は、一人で生きるところには存在しません。愛すること、それは隣に愛する人が必要なのです。神様は私たちを愛して下さっているのです。私たちはだれかと共に生きて、共に生活するときに、神様の愛を本当に心から感じることができるのです。(笠井元)