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2019.9.29 「朽ちることのない神の愛」(全文) Ⅰペトロの手紙1:22-25

1:  死を迎える道

 聖書では【「人は皆、草のようで、その華やかさはすべて、草の花のようだ。草は枯れ、花は散る。」】(1:24)と言います。この言葉はイザヤ書40章から引用された言葉です。少しイザヤ書の方も読んでみたいと思います。イザヤ書40:6-8です。【40:6 呼びかけよ、と声は言う。わたしは言う、何と呼びかけたらよいのか、と。肉なる者は皆、草に等しい。永らえても、すべては野の花のようなもの。40:7 草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。この民は草に等しい。40:8 草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。】 イザヤ書では、【肉なる者は皆、草に等しい・・・草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。】(6-7)と言います。このイザヤ書の言葉では、どちらかというと「肉なる者」つまり「罪を持つ者」に「主の風が吹きつける」つまり、「神の裁きが下る」といった、罪に対する勧告のような言葉となっています。

 それに対して、このペトロの手紙では【人は皆、草のようで・・・草の花のようだ】(24)と言います。「人は皆」。つまり、すべての人間に向けての言葉となるのです。わたしたち人間は、この世に生まれて、最終的に死を迎える。この道をたどって生きています。これはすべての人間に共通することであり、この道から外れる者はいないのです。だれもが死に向かって歩んでいる。私たちは日々の生活の中では、このようなことは、あまり考えていないのではないでしょうか。私も、毎日、いつもそのように考えて生きてはいません。ただ、何かのことから、「ふと」「死」が頭に浮かぶと、大きな恐怖感に襲われます。

 

 先日、テレビを見ていた時ですが・・・、有名なミュージシャンさんが、「最近どのように過ごされていますか?」という質問に対して、「普段は、夜中もテレビを見ながら、ケータイをいじっています。・・・ただ、そうしていると、ふととても大きな虚しさに襲われることがあるんです」ということを話していました。その人は、ミュージシャンとしても、また俳優としても活躍する人です。もちろんこれまで多くの努力を重ねてきて、今の立場があるのでしょう。多くのヒット曲をだし、テレビにも映画にも多く出演しています。私からすれば、何でも手に入れた人、何でも思い通りに生きることができる人にも見えるのです。しかし、だからこそ、自分が、何のために生きて良いのか、これから何をすれば良いのか・・・といった虚しさを感じたのではないかと思うのです。名誉、お金、地位、いろいろなものを手に入れていく中で、しかし、人間は、最終的に、死を迎えていくのです。そしてその時に、今、手に入れているものは必ずその手から離れていくのです。

 これは、世界のこれまでの歴史をみても、同じような思いに襲われてきた人を何人も見るのです。有名なところでは、中国の秦の始皇帝が不老不死を求めたということが有名です。またクレオパトラは永遠の若さを求めたとも言われています。そのため、脱皮して、そのたびにきれいな肌となる「蛇」が神様とされたとも言われています。

 聖書は、そのような死を畏れ、死にあらがおうとする人間に、すべての者が、草が枯れていくように、必ず死を迎えることを教えます。これが、私たち人間が向き合うべき現実なのです。

 

2:  永遠に変わることのない神の愛の言葉

 神様が、私たちに与えた命は、この世で永遠に生きる命ではなく、この世において終わりを迎えます。それは花のように、とてもはかない命です。このような命の終わりに目を向ける時、私たちはとても大きな恐怖感、または人生の虚しさを感じるのかもしれません。そのような私たちに神様は、今日の聖書の言葉から、【「1:23 あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。」】(23)そして【「主の言葉は永遠に変わることがない。」】(25)と教えられるのです。

 神様は、とてもはかない私たちの命に、永遠の朽ちることのない種、神様の変わることのない生きた言葉を与えてくださったのです。神様が私たち人間に与えてくださった「生きる道」は、この神様の与えてくださった、「朽ちることのない種」、変わることのない神の「生きた言葉」を、いただき、育て、豊かな実を結ぶ道なのです。神様は、朽ちることのない、変わることのない神様の永遠の愛として、この世にイエス・キリストを送ってくださったのです。そして、このイエス・キリストの十字架という死と、復活という新しい命の創造の出来事を通して、死を打ち破り、神様の愛の内に永遠に生きる、新しい命を示されたのです。このイエス・キリストの復活によって示された新しい命を、私たちはいただいているのです。それは、いずれ死によって失われ、朽ちていくものではなく、死をも超えた、変わることのない命、神様の「愛」の言葉です。私たちは、この神様の愛の種「み言葉」をいただき、神様の愛という実を結ぶために生きる道を与えられたのです。ここに、私たちが生きる、本当の意味が示されたのです。

 聖書では、コヘレトの言葉という箇所で、このように教えています。【12:8 なんと空しいことか、とコヘレトは言う。すべては空しい、と。・・・12:13 すべてに耳を傾けて得た結論。「神を畏れ、その戒めを守れ。」これこそ、人間のすべて】(コヘレトの言葉12:8、13)聖書は【「神を畏れ、その戒めを守れ。」これこそ、人間のすべて】というのです。

 

3:  引き継いでいく信仰

 私たちが、信仰の先達の方々から引き継いでいる信仰とは、神様に与えられた、朽ちることのない種、神様の御言葉、神様の「愛」です。バプテスト東福岡教会が、この地に立ったのは1953年で、現在、67年目となっています。この67年間の中にあって、多くの兄弟姉妹が神様を信じて、神様の愛をいただき、神様に従い、そして教会の兄弟姉妹として、共に祈り、お互いに励まし合い、生きてきたのです。その中には、時には、大きな困難、苦しみの時もあったでしょう。 しかし、その多くの困難に出会う中でも、神様の愛から離れることなく、困難を乗り越えてこられたことによって、今、ここに信仰共同体としてのこの教会があるのです。教会の中心には、どのような時にも、愛の神様がいてくださったのでしょう。先達の方々は、神様に示された、神様の愛という、新しい命の道を生きてきたのです。今、私たちはその神の愛という朽ちることのない種を受けとり、新しい命の道を引き継いでいるのです。そして、それは、この教会だけではありません。イエス・キリストがこの世に来られて、十字架で死に、そして復活をなされた。そこから始まった信仰の道、神様の愛の実を育てていく道が、2000年も引き継がれてきたのです。私たちは、今、私たちが出会い、引き継いでいる、神様の愛を受け取るという信仰の重みを、もう一度覚えたいと思うのです。

 

4:  新しく生きる

 この世界のものは、すべていずれ朽ちていきます。イエス様の時代に世界を支配していたローマ帝国は、「すべての道はローマに通じる」と言われたほどに、繁栄しました。当時のだれがこのローマ帝国が滅びると思っていたでしょうか。しかし、そのローマ帝国も滅びました。

 今、皆さんは、この世界にあるもので、決して変わることのない、朽ち果てることがないものが何かあると思っているでしょうか。わたしは時々、どこかで自分の命はなくならないのではないかと思ってしまっていることがあります。たぶん、それくらいに考えていないと、苦しくて、まともに生きていけないのかもしれません。しかし、事実、この世界にあったすべてのものは朽ち果てていった、そしてこれからもいずれ朽ち果てていくのです。それが私たちの生きる世界の現実です。

 そのような中にあって、ただ一つ、朽ちることのないもの。それは、『神の御言葉』です。私たちは今、この神様が私たちに注いでくださっている、朽ち果てることのない、命の種、神様の命の御言葉をいただきましょう。そして、先達の方々が信じて、守り、働かれたように、私たちも、この神様の御言葉を守り、そして、この神様の御言葉を信じて、宣べ伝えていきましょう。(笠井元)