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2019.12.29 「感謝と祈りをもって生きる」(全文) フィリピの信徒への手紙4:4-7

1  2019年を振り返って

 今日は、2019年最後の礼拝となります。今日の説教を作るために、まず私の自分自身の今年を振り返ってみました。幼稚園では、月刊誌として「あゆみ」というものを配布しているのですが、その1月には今年の抱負というものをいつも載せています。一度、今年の最初に自分が何を目標としていたのか、見てみましたが、そこに書いてあった、私の今年の抱負は、まず園長として「キリスト教保育についてより一層学びを深める」ということが書いてありました。こちらは、誰がみても普通に考えられることだと思います。もう一つ書いてあったのが「毎日笑顔で過ごす」ということでした。今年も沢山、色々なことがありましたが、私は自分が毎日笑顔で過ごせたか・・・考えさせられます。ただ、それ以上に、昨年の末に、来年こそは「笑顔で過ごすことができるように」ということを目標とした。つまり、その時の自分の気持ちとしては、なかなか笑うことができないような時が続いていたことを思い起こします。笑顔で過ごそうと目標を持ち、始まった今年ですが、振り返りますと、幼稚園は無償化が始まり、とにかく忙しい毎日でした。それでも皆さんのお祈りに支えられて、一年を通して安定した日々を過ごすことができたと思います。

 みなさんにとって、今年はどのような一年であったでしょうか。教会にとっての一年を振り返ってみますと・・・今年の大きな出来事として、中田利一兄、戸田光姉、笠井尊人兄の3名のバプテスマが起こされたことが、とても嬉しい出来事でした。3名ともクリスチャンホームで育った方々ですので、家庭と教会で、少しずつその信仰が育てられ、実りが与えられたことはとても感謝なことですし、教会として、これまでの働きが実った、本当にうれしい出来事でした。

 また、教会にとって、この3名のバプテスマは、ただ嬉しいだけではなく、神様の御業を信じて祈ることの大切さを教えられた出来事でした。教会は、一年前、2018年度から3名のバプテスマを祈ってきていたのです。この3名のバプテスマは、2018年度の計画を考える中で、当時、伝道執事であった樋口兄が打ち出してくださった目標でした。それまで、私が就任してから、何名かのバプテスマが与えられるようにと教会の目標として祈ったことはありませんでしたが、2018年度から3名のバプテスマを願い祈り始めたのでした。そのときに、特に人間としての計画があったわけでも、何か計算されていたわけでもありませんでした。もちろん中田兄、戸田光姉、笠井尊人兄が予想されていたわけでもありませんでした。ただ、願いと期待をもって、祈ったのでした。そして、その教会の祈りが、神様の御心として、今年、実現されたのです。このことを通して、目標をもった祈りの大切さ、そしてその目標を為していくための働きの大切さを、再度教えられました。

 また、もう一つの嬉しいこととして、先日、髙畠姉が東福岡教会に転会されたことです。この髙畠姉の転会のために、祈祷会では毎週お祈りしていました。髙畠姉は、引っ越して福岡に来られたのですが、これまで別の教会員として信仰が与えられ、その教会において多くの兄弟姉妹の祈りに支えられてきたのです。そのような中で、新しく東福岡教会を、祈りの仲間として受け入れてくださり、共にキリストの兄弟姉妹として生きていく道を選んでくださったことは、とても嬉しいことです。

 

 そのような意味で、今年はこの「祈り」の大切さを再確認させられた年でありました。またこの教会の祈りに神様が応えてくださった年、神様の御心によって、大きな恵みが与えられたことを感じる年でもありました。今日、この一年を振り返り、共に喜びたいと思います。そして、神様に感謝し、神様の御業を褒め歌いたいと思うのです。私たちは、神様の恵みを受けた時、神様に目を向けて感謝しましょう。きちんと感謝することによって、誰が、何のために、このように恵みを与えてくださったのかを確認するのです。自分の力で行った、だれかの力と思い違いをするのではなく、神様の御業として為された恵みの出来事であることを、きちんと受け取りたいと思います。神様が、私たちに恵みを与えてくださったのです。この恵みをしっかりと受け取り、また、新しい一年も、神様に祈り向かって歩んでいきたいと思います。

 

2   世界を見る時に

 この東福岡教会にとって、とても多くの恵みを頂いた2019年でした。しかし、だからといって、その中で、何一つとして悩むことがなかったと言うわけではないのです。教会の中でも、病気になられた方、事故によって怪我をされた方、今、骨折のために、入院している兄弟姉妹もおられます。

 そして、その目を少し外に向けてみると、それほど単純に、今年は決して素晴らしい恵みに満ち溢れた年であったとは言うことはできないと思うのです。先日は、アフガニスタンで中村哲氏が殺害されました。中村氏は、アフガニスタンにおいて、現地の人々が健康に生きることができるようになるために、薬もですが、その前に、まず水が必要であると考え、用水路を作っていったのです。その中村氏が、突然のテロに襲われ、殺されてしまったのです。とても心が苦しくなる出来事でした。

 また、香港においては、大きなデモが起こり続けています。そこでは死傷者が出ている状態となっています。皆さんは、この香港におけるデモのことをどのような思いで見ているでしょうか。私は、恥ずかしながら、ニュースでこのデモを見たときに、最初はあまり関心をもっていなかったというのが事実です。私にとっては他国のことで、他人事としてしか見ていなかったのです。まだ、この香港のデモの出来事のすべて把握しているわけではないのですが、香港のため、そして、中国全体のためにお祈りしようと考えさせられました。そのほかにも、この世界には沢山の痛み、悲しみの出来事が起こり続けており、未だ解決していない問題が沢山あるのです。

 

3   暗闇に光として来られたイエス

 このような暗闇の世界にあって生きている私たちです。2019年を振り返る時、世界には、もちろん喜びの出来事もありました。しかし、その喜びを忘れさせるほどに多くの、悲しい出来事が起こり、続いているのです。今日の聖書はそのような世界に、「常に喜びなさい」と教えます。

 聖書をもう一度読みたいと思います。【4:4 主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。4:5 あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。 4:6 どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。 4:7 そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。】(4-7)

 聖書は、「常に喜びなさい」と言います。「主はすぐ近くにおられる」のです。「どんなことでも、思い煩うのではなく、感謝を込めて、祈りなさい。」そしてそこに「私たちの思いを超える神様の平和、イエス・キリストにる、神様の御業がなされる」と教えているのです。

 この世界は暗闇で包まれてしまっているように感じます。しかし、そのようなこの世界だからこそ、そこにイエス・キリストが来られたのです。イエス・キリストは、この暗闇の世界を打ち砕く大きな光としてこの世界に来てくださったのです。神の子イエス・キリストは、この世界に人間として生まれられたのです。それは、人間の作る、この暗闇の世界に、神様が、その暗闇を打ち砕く光を送って下さったということです。私たちは、イエス・キリストによる光を頂きましょう。そしてだからこそ常に喜びたいと思うのです。そして、だからこそ、どのような時も、思い煩うのではなく、神様の御業を信じて、祈り、感謝をもって生きていきたいと思うのです。

 今年は、祈ることを強く教えられました。私たちが祈る時、私たちの思いを超えて神様が働いてくださるのです。私たち人間の思いを超えて、神様が御業をなしてくださるのです。この神様の御業を信じて、常に喜び、感謝して、祈り続けていきたいと思うのです。

 

4   涙と共に種を蒔く者として

 東福岡教会の、今年度の主題聖句は、詩編126:5【涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈り入れる。】です。まさに、今年は、喜びをいただきました。喜びの刈り入れの時でした。この恵みを共に感謝していきたいと思うのです。そして、また、この刈り入れを受け取った私たちは、ここから、もう一度感謝と祈りを持って、種を蒔く者として歩みだしたいと思うのです。

 世界には未だ、苦しみと痛みに生きている人が沢山おられるのです。そのすべての人のために、イエス・キリストは、この世界に来られたのでした。イエス様は、すべての人間の苦しみを担い、そしてその暗闇に光を放つために来られたのです。キリストは、すべての人間の光であり希望です。わたしたちは、このイエス・キリストによる福音の希望、福音の種を蒔き続けていきたいと思うのです。

 福音の種を蒔くことは、イエス・キリストが苦しみを担われたように、私たち自身もまた、苦しんでいる人のために、苦しみを担っていくこととなるのです。つまり、自分自身が傷つき涙することになるのです。それでも私たちは、キリストの愛を知った者として、隣人の痛みを知り、そしてその痛みを共に痛み、共に涙し、そこにキリストが来てくださっているという恵みを、分かち合っていきたいと思うのです。福音の種を蒔く道。それが、私たちの生きる道です。わたしたちは、今、来年に向けて自分に何ができるのか、今一度考えていきたいと思います。(笠井元)