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2020.2.2 「神を自らの神とするために」(全文) ダニエル書1:1-21

1:  神様を自分の神様とする

 今日の箇所はダニエル書です。ダニエル書から説教をするのは、私が東福岡教会に赴任してから初めてとなります。ダニエル書1章は、少年ダニエルの信仰を見ることになりますので、少年少女にも必要な、神様について大切なことが語られていると思うのです。今日は、子どもたち・・・もう子どもではなく、お兄さん、お姉さんと言ったほうがよいかもしれませんが・・・小学生、中学生の皆さんにも分かるような話をしたいと思いますので、よく聞いてください。またもちろん、教会の皆さんも、まだまだ若いのですから、一緒に聞いていきましょう。

 今日の箇所では、ダニエル、そしてハナンヤ、ミシャエル、アザルヤの四人の少年が登場しますが、その中でも少年ダニエルが中心の話となっています。この話の中心内容は、簡単に言いますと、「神様を自分の神様とする」ということです。皆さんにとって「神様を自分の神様」とする、十字架のイエス様を、自分の救い主として生きていくとは、どのようにして生きていくことでしょうか。いきなり、だいぶ難しい問題となりますが・・・

 

 以前、わたしがいた教会で一人の小学生が「『学校で、頭がよくていろいろなことができる人たちから【あなたは何もできないから、生きている意味はない】と言われた。確かに自分は、運動もできないし、頭もよくないし。自分に生きている意味なんてあるのかな』」と言っていました。「自分の生きている意味」これは子どもだけではなく、大人も同じような思いを持つことがあると思います。もちろん私もあります。その小学生に、その質問をされた時に、私も考えさせられるなかで、「あなたは、なんで、運動ができて、頭もよくなりたいの。なって何がしたいの?」「頭がよくなって、お金持ちになりたいの?偉い人になりたいの?・・・先生は、それじたいは別に悪いことではないと思うけれど、頭がよくなり、運動ができるようになって、お金を手に入れた時、何に使う?偉くなったら何がしたいの?自分が学校で言われたことと、同じように・・・いろいろなことができるようになったら、人をけなしていじめたい?そのようにすることが、本当に頭のいい人がすることだと思う?どうして勉強するのか、力をつけるのかを考えてみたら」と聞いてみました。その子は少し考えながら、「人をいじめるために勉強しているのではないな・・・もうちょっと考えてみる」と言い、少し元気になっていました。

 私はこれまで何人かの大人の人に、同じことを聞いたことがありますが、その中では「もちろん人をいじめたいわけではない。」と言う人もいれば、「自分も頑張って努力してきたのだから、それなりの報酬として自分も偉くなりたいし、それなりに尊敬されたいです。」と言う人もいれば、「自分をいじめた人にやりかえしたい」と言った人もいました。ある意味とても素直に答えられたと思います。「やりかえしたい」これが、人間の、この世の素直な答えともいうこともできるでしょう。

 そのような人間に、聖書では、神様は、「あなたは自分を愛するように、隣人を愛しなさい」「あなたの敵を愛しなさい」「愛がなければすべてはむなしい」と教えているのです。「神様を自分の神様としていく」ということは、自分の思いで生きることではなく、この神様の言葉を忘れないで生きていくということです。神様を自分の神様として生きていくということは、「神様に愛されている者として、愛する者として生きていく」ということです。皆さんに、このことを忘れないで欲しいと願っています。

 

2:  ダニエルの信仰

 今日の聖書で、ダニエルは名前を変えられます。このとき、バビロンという国によって、その力によって、ダニエルたちユダヤ人は国を支配していました。ユダヤはバビロンよって滅ぼされたのです。そしてバビロンに連れて行かれたのです。バビロンは、ユダヤ人に言うことを聞かせるために、ユダヤ人をバビロン人として生きさせることを考えました。その習慣、名前、食べ物など、そのすべてをバビロン人と同じようにさせたのです。ダニエルは、名前を変えられました。また、カルデア人の言葉を学ぶようにもされました。しかし「肉類、お酒」は食べませんでした。「肉類とお酒」を食べることは「バビロンの神様に捧げられた肉とお酒」で、それはバビロンの神様を神様とする行為だったのです。ダニエルは「肉類、お酒」を食べないことによって、「イスラエルの神様を自らの神様」ということを守ったのでした。これがダニエルの信仰です。

 皆さんは、何をもって、自分の信仰を守るのでしょうか。皆さんは、何をもって、自分の信仰が守られているのか、また、これからも守り続けることができるのか、考えてみてほしいと思います。

 

3:  何をすればよいのか

 すでに中学生となっている人は、部活が始まり、これから受験も控えています。高校生、大学生になれば、勉強、部活、サークル、アルバイトなど、また忙しくなるでしょう。社会人になれば、仕事が日曜日に入って来るかもしれません。わたしが、小学生、中学生のころ、悩んだことの一つは、礼拝に出席することです。小学生のときに、サッカーを習っていましたが、日曜日の試合は出ていませんでした。そのために、全国大会の東京都代表になるかどうかという大切な試合の時にも、参加しませんでした。そして、結果チームは負けてしまったのです。自分が出たところで、結果は変わらなかったかもしれませんが、どうしても自分がいたら・・・と思ってしまいました。

 皆さんはどのように思いますか。礼拝に出席することは大切なことであることは確かなことです。

 小羊会では5つの約束というのがあります。そこでも、1.「聖書を読む」、2.「お祈りをする」、3.「礼拝に出席する」、4.「献金をする」、5「友だちを誘う」とあります。是非皆さんには、この5つの約束を大切にしてほしいと思います。何故でしょうか。それは「大人から見て、いい子でいるためではありません」。みんなが「神様を自分の神様」とするためです。「神様の愛を忘れないため」です。

 ダニエルも、この後のお話しでは、礼拝禁止令が発令されたにも関わらず、神様を礼拝したことで、ライオンの洞窟に投げ込まれるのですが、神様に守られました。「神様を自分の神様」とするために、「神様の愛を頂き」「神様に愛されている者として生きるために」に5つの約束があります。

 ただ、今、この教会でも健康上の理由や仕事などで礼拝に出席できない方もおられます。では礼拝に出席できないときはどうすればよいでしょうか。12月から秦フサヨ姉が骨折されたため、入院されています。病院に訪問に行ったときに、フサヨさんのベットの上には聖書が置いてありました。フサヨさんは「教会に行けないから、いつも聖書を読んでいる。だけど、こういう時に限って、『死』とか『よみ』とか、そんな言葉ばっかり見えてくるんです」と言って笑ってくださいました。そして「やっぱり一人では読むのが難しいから先生の説教原稿をもってきてください」と言ってくださいました。そして一緒にお祈りしました。また、先日、鶴見健太郎兄のところに訪問したときは、一緒に讃美歌を歌い、主の祈りをいたしました。

 聖書を読むことも「神様を自らの主」として信仰を守るための一つの方法でしょう。そして讃美歌を歌う事、祈ること、そのようにして、神様の愛を覚えるのです。礼拝に出ることができないことは確かにあります。その時は別の方法で「神様を自らの神様」としていくことができます。別の方法をもって信仰を守るのです。そして、何よりも、その方法を考えること、神様が愛してくださっていることを忘れないためには、自分は何が必要なのか、考えることが大切だと思います。

 

4:   神は離れてはいかない

 では、神様を忘れて、離れていった者はどうなるでしょうか。十字架の時イエス様から弟子たちはみんな逃げ出しました。イエス様の一番弟子は、「どこまでも、死んでもイエス様についていく」と言いながらも、その恐怖の中で、イエス様のことを「知らない」、「自分とは関係ない」と言いました。今日の聖書では「ユダの王ヨヤキムを中心とするイスラエル」も、そうでした。2節では【1:2 主は、ユダの王ヨヤキムと、エルサレム神殿の祭具の一部を彼の手中に落とされた。ネブカドネツァルはそれらをシンアルに引いて行き、祭具類は自分の神々の宝物倉に納めた。】とあります。「主」は、ネブカドネツァルというバビロンの王に、イスラエルを手渡したのです。

 ここで見るべきところは、イスラエルが滅びていくなかにあって、そのような苦しい時にも、神様は離れず、一緒にいてくださったということです。人間が神様から離れていくなかでも、神様は離れて行かなかったのです。神様は、神様を離れていったヨヤキムを代表とするイスラエルの民を見捨てて、離れて行ってしまったのではないのです。むしろ、そこからバビロンで苦しみ、辛い思いをしているダニエルを代表とするイスラエルの民と共におられたのです。

 神様は、どのような時であっても、私たちと一緒にいてくださるのです。神様から私たちを離すことはないのです。そして、神様はこのことを、イエス・キリストが来られたことによって表されたのです。神様は「インマヌエル」「主は我々と共におられる」方としてこの世界に来てくださいました。これが神様の愛です。神様は、私たちを愛し、私たちと共におられます。これが、神様の与えて下さった恵みの出来事です。私たちがするべきこと。それは、この神様の愛の上にあぐらをかいているのではなく、この神様の愛を受け取り、生きることです。神様は、私たち人間の神様となってくださった。そして今も、永遠に、神様であり続けてくださるのです。私たちは、心を開き、心に神様を迎え、神様の愛を受けた者として生きていきたいと思います。

 

5:   神の知恵をいただく祈り

 最後に、「祈り」について考えたいと思います。今日の箇所では「知恵」、「知識と理解力」という言葉が何度も出てきます。神様は神様に従うための「知恵」、そして「知識と理解力」をダニエルに与えました。これはダニエルが人間として素晴らしいのではなく、神様が、ダニエルに与えたのです。神様が私たちに「神様を自分の神様としていく」ために、必要なものを与えてくださるのです。だからこそ、ダニエルは、神様に従う者、「神様を自らの神様」としていくことができたのです。神様が守ってくださったのです。

 私たちは、自分が何をすべきか考える時に、まず神様によって、必要な力、知恵と知識、理解力が与えられるために、祈りましょう。神様は、この祈りに応えて、私たちに必要なことを教えてくださるでしょう。そして、この祈りは、お互いのためにも、祈っていきたいと思います。

 私たちは、一人では、神様に従い生きていくことはできません。私自身、自分が神様から離れ、礼拝に行くことができなくなったこともありました。そんなときに、神様のもとに戻ることができたのは、教会の人の祈りです。いつも、教会の人が、私の為に祈って下さっていたのです。私たちは、それほど強い者ではありません。だからこそ、隣にイエス・キリストが来てくださいました。そしてイエス様が、私たちに隣人を与えて下さったのです。わたしは、今年度は、様々なところで、皆さんに祈られていることを実感した年でもありました。「牧師のために祈っています」と何度も言ってもらいました。心が落ち込むとき、皆さんの祈りに励まされました。とても嬉しかったです。

 私たちは、祈られている者です。自分が苦しい時、イエス様が隣で祈ってくださっていることを思い出しましょう。あれができない、これができないと、苦しいこともあります。そのような自分のために、イエス様、そして隣にいる兄弟姉妹が、祈って下さっているのです。そのことを思い出しましょう。そして、私たちもまた、となりの人のために祈り、歩んでいきたいと思います。(笠井元)