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 2013.5.5 「十字架の言葉」 コリントの信徒への手紙Ⅰ 1:18-25

1:  神様のかかわり

私たちにとって、イエス・キリストの十字架とはどのような出来事でしょうか。神様はキリストの十字架を通して私たちと関係をつないでくださいました。神様は私たちと共に歩むこと、その罪を共に担うことを決心されたのです。それがキリストの十字架の出来事です。

 

2:  遠く離れた神様 日本人の神様ユダヤの神様 苦しむことのない神様

わたしたち日本人が考える神様は「やおよろず」というように、至る所に存在していると考えられている神様です。だからといって、私たち人間を愛し、私たちと関係をもち、私たちの気持ちを知り、共に歩んでくださる神様でしょうか。遠く離れた神様という考えは、日本の神々だけではないでしょう。旧約聖書における神様の存在も、どこかそのような神様として捉えられていたものでした。

 イスラエルの人々がイエス様を、キリスト・救い主として受け入れられない、認められないことの大きな一つの出来事として、神様は神聖であり、苦しむことがないということだったと思います。

 

3:  苦しまれる神様 キリスト

「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」(フィリピの信徒への手紙2:6-8)

 キリストは自らの身分を捨てて、ご自分を無にして人間の姿で、私たちの前に現れてくださいました。それは私たち人間の世界の中にあっても、人よりも低い者、特に小さいも、罪びとの中の罪人として、十字架にかかってくださったのです。 

十字架につけられた方イエス・キリストご自身が、十字架の言葉です。私たちの目の前に現れる、イエス・キリストは、天の高み、遠く離れた場所から、私たちを見下ろすように眺めておられる方ではなく、人間としてこの世にこられ、十字架にかかられ苦しみ死なれたのです。人間の痛みの重さと、苦しみの辛さを、最大限に受けられ、私たちの前に立ち、そして、私たちと共に歩まれることを決心された方、それがイエス・キリストです。苦しみを受けとられたイエス・キリストが私たちの苦しみを、分かってくださるのです。それは、ただ分かる、知るということではなく、私たちが苦しいときに、主イエスご自身がまさに十字架の主として、共に苦しまれるのです。

 

4:  結語 派遣

私たちはイエス・キリストの十字架を指針として歩んでいきましょう。

私たちの主は十字架に至るまでご自分をむなしくされました。そして、私たちに救いと命とを与えてくださったのです。私たちはイエス・キリストの十字架に導かれる者、新しく命を与えられた者として、主イエス・キリストにならって歩んでいきたいと思います。わたしたちも、へりくだり、共に痛みを担う者へと、変えられていきましょう。そして、日々神様の召しに与り、またその招きに応答する者として、歩んでいきたいと思います。