1: 汚れた霊
汚れた霊は、人間と人間の関係を断ち切ることを望む者です。お互いが「かまわない」で生きることを願う者です。自分は「かまわないでくれ」と叫び、また、となりに生きる人のことも「かまわない」で、生きることを願う者です。これがわたしたちの心にも潜む、「かまわないでくれ」と叫ぶ、汚れた霊です。人間と人間の関係を断ち切る霊なのです。
2: 孤独
わたしたちが「孤独」を感じるときはどのような時でしょうか。それは、自分の犯した罪についてではないでしょうか。人間は、自分の犯した罪については、だれとも共有できることのない、孤独感をもつのです。罪は強い孤独の性質を持っているのです。罪は孤独なものです。しかしまた、同時に罪は人間の最大の共通点でもあります。罪は、私たちすべての人間、年齢も、国籍も関係なく、あらゆる人間の持つ唯一の共通点です。すべての人間が罪びとなのです。
私たちは罪による孤独感を持ちます。それでも、その罪によって孤立することはないのです。罪は私たちを孤独にするけれど、わたしたちは決して一人ぼっちではないのです。
3: キリストの権威
私たちの罪の思い、孤独の心の中に来てくださった方、それが主イエス・キリストなのです。私たちが孤独にある、その心のなかに来てくださる方がイエス・キリストです。罪を犯し、その痛みに縛られているとき、私たちは「かまわないで」と思う時。自分から一人ぼっちで、孤立に向かいたいと思うとき、だれとも話したくないときがあるのです。イエス・キリストは、そのような「かまわないでくれ」という思いを打ち破られます。そして私たちを孤立から解放してくださるのです。私たち罪びと一人ひとりの孤独の思いを繋げてくださる。
「キリストの権威」はここにあるのです。
4: キリストに従う決断
イエス・キリストは、今、私たちにかかわってくださいます。それは、私たちが断ち切ろうとしても、断ち切れない関係として、キリストが手を差し伸べ続けてくださっているのです。
今、私たちは、イエス・キリストに出会いたいと思います。そして、私たちは、キリストに従う決断をしましょう。そしてまた、私たちは、一人で生きる苦しみと、一人で疲れた人生の痛みを、このイエス・キリストに委ねて歩きだしましょう。
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