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2013年7月10日(水) 「6日目の創造」  創世記1:24-31

1.      支配する者の創造 ( 創世記 1:26-27 )

 神様は人間を創造されました。その特徴として「さまざまな動物を支配する者として」「男と女」「神様にかたどって」として創造されました。

 まず「支配する」者としての人間について学びたいと思います。

 神様は私たちのことを支配されます。神様は同様に、私たちに地にあるすべての生き物を支配しなさいと教えるのです。それは、神様が私たちを愛するように、私たちにも地にあるすべての生き物を愛しなさいと教えられているのです。

 支配するとは、牧者となり養うことです。聖書では、牧者となるために一番下までへりくだり仕える者となりなさいと教えます。そしてその命令を、イエス・キリストが自ら命を捨ててまで私たちに示されました。支配することは、命をかけてまで仕えることだと示されたのです。

 私たちは支配するとは抑圧すること上にたつことだと考えていないでしょうか。

 世界の「海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うもの、種を持つ草と種を持つ実をつける木」を愛し、それぞれの存在を喜び大切にするのではなく、自分の為にあるものとし、自分の為に存在しているものとして考えるのです。必要でなくなれば捨ててしまう。自分のエゴイズムによって生きること、自分勝手ができることが支配する者と思い違いをしているのです。

 「海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うもの、種を持つ草と種を持つ実をつける木」それぞれのために、私たちにできることは何があるでしょうか。

 就任式では、天野先生が「自分が自分自身を支配することもできないことを知ること」、そして「キリストに支配していただく」、そして牧者とは「命をかけてまで仕えてくださる方イエス・キリストを指し示す」のだと教えてくださいました。私たちは、どこまでもへりくだるのです。そして共に生きるために、神様がお互いを創造されたことを覚えて、イエス・キリストが主だとへりくだるのです。そして祈りつづけて歩んでいきたいと思います。

 

2.      男女の創造 ( 創世記 1:26-27 )

 神様は「男と女」を創造されました。

 神様は「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。」(27)神様は、自らをかたどり、人間を創造されました。それは「人」として、また「男と女」として創造されたのです。

 神様は「単数」の「人」として、また「複数」の「男と女」として創造されました。神様はご自身をどちらかだけではなく、どちらをももって映し出されるのです。わたしたち「人間」は、神様との単数の「人」としての関係においても正しい関係が造られるのです。そしてまた「男と女」という複数の間における関係においても、神様を映し出す者として「人間」は造られたのです。

 ここに、神さまとの縦の関係、そして隣人とにおける横の関係の大切さが示されているのです。

 マタイ22:37-40

 イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」

 

3.      神様にかたどられた人間 ( 創世記 1:26-27 )

 神様は「自らをかたどって人を創造された」。

 神様が自らをかたどって創造された方、その完全な姿の方としての人間、それがイエス・キリストです。イエス・キリストは、神様をかたどる人間としてこの世に来られました。そして神様の愛を私たちに示されたのです。

 私たち人間は神様にかたどられた者として造られながらも、罪ある人間として歩みだしました。神様の姿から離れ始めた人間です。そこに神様の愛をかたどる方、イエス・キリストが来られたのです。そして私たちを受けいれ、わたしたちと共に歩き、罪人のいちばん上に立つ方となったのです。神様にかたどられて造られた愛の姿のイエス・キリストは、私たちのために罪人の姿になり、十字架の上で死なれたのです。

 

4.      人間の祝福 ( 創世記 1:31 )

 「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。」(31)

 「極めて良かった」それは、神様はすべてを含めて、「完全であった」とされます。それはイエス・キリストを通して、すべてのものが神様に愛されて、愛し尽くされて、造られて生かされているということです。わたしたちは、今も愛の方神様にかたどられて生かし続けられているのです。そしてそれは、隣人としてお互いに愛し合う者として新しい日々、造られ続けているのです。この神様の愛を受け取って、お互いに愛し合って歩んでいきたいと思います。