1. 安息日 ( 創世記 2:1-4a )
神様は、第七日目に仕事を完成され休まれました。神様はこの造られた世界に満足されたのでしょう。その造られたものは「良い」と、そして心配ないと理解したうえで、休まれたのでしょう。これが神様の安息の日です。そして、神様はこの日を祝福し、聖別したのです。
ここから、神様はわたしたちに安息の時、安息の日を与えて下さいました。それは、わたしたちが神様に信仰を表す時、礼拝をする時です。安息日は神様が安息された日、休まれた日です。今日は、この安息日から、神様に信頼して休むこと、休息することについて学んでいきたいと思います。
2. 休息と怠惰
今日は、ここから「休息と怠惰」ということに学んでいきたいと思います。
私たちは、休むことにうしろめたさを感じるものではないでしょうか。休むことを怠けることだと感じることがあるのではないでしょうか。どこまでが、よく仕事も勉強もできて休むことまでもうまくとることのできる自立した人で・・・どこまでが、ぐうたらな、怠けものなのでしょうか。「休むこと」と「怠けること」について、もう少し考えていきたいと思います。
みなさんは、「三年寝太郎」というお話をご存じですか?
日本の民話の一つです。あらすじはたくさんありますが・・・三年間寝続け周りからは「怠けもの」とされていた男「三年寝太郎」が、突然起きだした末に灌漑など大きなことをして村などを救い、村の人びとから感謝されて、英雄、神様されるお話です。
この話からみても、何か能力があり、仕事さえできれば、どれほど休んでいても、ゆっくりしていても、「英雄」「神様」とされるもの。仕事ができなければ休んでいたら「怠けもの」とされるものです。
今の時代は忙しい時代といわれています。
幼稚園の小さな子どもたちは、確かに習い事をする子どもが増えています。小学校の子どもはほとんどの子どもが習い事をしているようです。しかしまた、失業者、ニートやホームレスが増えているように、忙しく働くことができない人々も増えているようです。
そのなかで多くの人びとにとって「休む」ことはどのように映っているのでしょうか。インターネットで「休む」という言葉を入れて検索すると、「休むことの大切さ」「休むことの難しさ」ということがいっぱい出てきます。世間では、この両方ともについてとても多くの人びとが興味をもっています。
ある人は、「休むことの大切さ」を語り、休むために適切な休日の取り方、眠る時間の取り方を考えましょうということが語られていました。同時に「休むことの難しさ」から病気になることも記されていました。忙しい時代に休むことは難しく、病気の原因であり、だからこそ大切だと言われているのです。
パソコンも、スクリーンセーバーが動き出し、ついには勝手にスリープに入ります。機械ですら休まなければいずれ壊れるものですから、休むことが必要だということは、私たち人間は、理解しているのです。
3. 「休息」
私たちは「休むことの大切さ」を知りながら、「休むことが難しい」と思います。ただ体を休めること、ゆっくりすることなら、ある程度はできるものでしょう。しかし、なかなか眠れない、それでは心が休まらない、本当の休息にならないと思うことが「休むことの難しさ」につながるのだと思います
そのため休日、多くの人は、体を休めるだけを休息とはしません。旅行、食事、音楽、ショッピング、スポーツなどさまざまな方法で癒し、休息をとろうとします。そのなかで、人びとが休むとき、ゆっくりするときに、本当に欲しいのは不安からの解放、「安心」。心の安定だと思います。
そして、ここに与えられる本当の安心。心の解放。「休息」は、ほかの何でもなく、神様を信頼して礼拝すること、神様から休息をいただくことではないでしょうか。
神様に礼拝することは、神様を賛美し、祈り、神様から御言葉をいただくことです。それは、創造主なる神様が、命を造られた神様が、私たちを「良い」とされたという御言葉を受け取ることです。神様は私たちを「良い」「大切な存在だ」と教えてくださっています。礼拝は、神様の愛の中で生かされていることをもう一度確認すること、そして神様に賛美することです。
神様は私たち一人ひとりを愛してくださっています。創造主の神様は、私たち一人ひとりを「良い」としてくださっているのです。私たちは、神様に愛されていると知り、安心をいただくことが一番の心の安心、心の解放ではないでしょうか。
4. 大切な一人ひとり
神様に「良い」とされた私たち。神様に大切とされた私たちは、どのように生きていくことができるでしょうか。神様が生かしてくださっている命、神様が大切だとしてくださっている命です。そしてそれはお互いの「痛み」「弱さ」もまた、神様には大切だとされていることを覚えていくことでもあります。神様に「良い」とされているのは、自分だけではないということ、隣に生きる人々もまた「大切な一人」だとされていることを覚えていきたいと思います。
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