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2013年7月31日(水) 「命を造り養う方」  創世記2:4b-17

1.      天地を造られた時 ( 創世記 2:4b-5 )

 神様が天地を造られた時、地上には木も草も生えていませんでした。神様は地上に雨を送られていませんでした。まさに雨は「命の水」です。水によって命が与えられます。雨を降らせるのも、雨をやませるのも、神様の御業です。ここに命を造り養われる方を表します。

 神様の御業がなくては、人間は一日も生きることができないのです。今日は、人間は、神様によって造られて生かされているということを学んでいきましょう。

 

2.      造られた者 ( 創世記 2:6-9 )

 神様は塵から人間を造られました。

 コヘレトの言葉3:19-20

 「人間に臨むことは動物にも臨み、これも死に、あれも死ぬ。同じ霊をもっているにすぎず、人間は動物に何らまさるところはない。すべては空しく、すべてはひとつのところに行く。すべては塵から成った。すべては塵に返る。」

 コヘレトの言葉から人間と動物、すべてのものが塵からなり、すべてのものが塵にかえることが教えられます。神様は「命の息」を吹き入れられて人間を造られました。同じように神様はすべてのものに「命の息」「神の霊」を送り造られました。

 

 人間は神様に造られ、生かされ、養われている被造物です。私たちの中に、そのことを忘れている人間がどれだけいるでしょうか。人間は自分で生きていると思っていないでしょうか。自分は自分自身の力で生きていると、そして動物よりも偉いもの、他のだれよりも偉い命だと思っていないでしょうか。そのような私たちに聖書は「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくった」、そして「すべては塵に返る」、つまり何者も誰も変わることはない、と教えます。それは自分に価値がないのではなく、人間を含めたすべての被造物が、神様から造られた価値ある素晴らしい被造物だと教えているのです。

 

 人間は、神様以外の何かを中心に生きようとしていないでしょうか。

 最近は幼稚園で見かけますが・・・幼稚園の子どもたちは、ものの取り合いで「ゆずりあうこと」、けんかで「ゆるしあうこと」はなかなかできません。「これはぼくの」「こっちが悪口を先に言った」「ゆるせない」と言い合います。3才、4才の子どもは先生に教えられてここから少しずつ成長していきます。「おもちゃ」のとりあいは、手で無理やり取っていたのが、「貸して」と言葉を覚え、「じゃんけんね」、「先にいいよ」と言葉で話し合うことを覚え「ゆずること」から始まり、ケンカは「謝ること」「許しあうこと」まで覚えるのです。

 しかしまた、そのはずが・・・大人なっても・・・変わらない部分もあるものです。

 

 日本と中国が領土の取り合いをしているように、「どっちが先だ」と言い合うように・・・大人になっても問題が大きくなって、「許しあうこと」ができないところもあります。いつまでもすべてを「ゆるすこと」は覚えないものです。人にものを「ゆずり」相手を「ゆるす」こと、それはただ人間的に年を重ねて覚えることではないようです。

 

 成長とは、創造主である神様を中心に生きること、自分の中心に私たちを造ってくださった神様を置き、自分が造られたものであるとへりくだることです。そしてそこから「ゆずること」「ゆるすこと」を覚えることです。「お金」「プライド」「自分」、その他いろいろなものを中心に生きているときに、人を「ゆるすこと」、取り合いで相手に「ゆずること」は、なかなかできません。本当に成長して大人になるとは、神様を自分の中心に据えて生きること、へりくだることです。

 私たちは「神様が造ってくださった」ことを信じることができるでしょうか。

 神様は人間を造り、人間の命を養うことも告げます。「主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。」(8-9)

 神様は人間の住む場所、食べるものを与え、命を養うこと、必要なものは神様が整え満たすことを示されました。神様は人間を造られ、そして一日一日を養われているのです。

 

3.      二本の木 ( 創世記 2:15-17 )

 神様は人間を養う場所エデンの園を造られました。そしてそこに住まわせ、耕し、守るようにされました。

 その中心に「命の木」と「善悪の知識の木」を生えさせます。この二本の木は何を意味するのでしょうか。エデンの園。それは人間を養う場所です、その中心にある二本の木、その二本が表す意味は人間の命を養う中心、そのものを表します。

 

「命の木」。命の木に至る道、それは神様に続く道です。今日の学びの中では、神様を心の中心に据える道、被造物として忠実に生きる道です。

 「善悪の知識の木」。善悪の知識の木を知るとき、それは自分で善悪を決めて、自分独自の価値観を持ち生きていくときです。それは神様を神様としないで、自分を、そして自分の善悪で判断した、好きなものを神様として生きていくときです。神様を神様としないこと、神様との関係を離れて生きていくことです。

 「ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」(2:17)

 

 神様は「食べると必ず死んでしまう」と言います。神様から離れること、神様を神様としないこと、それは死んだことだと教えるのです。神様は、人間が生きることは、「命の木」に続く道、つまり神様を心の中心に置くか、「善悪の知識の木」に続く道、自分の善悪で判断した好きなものを心の中心に置いて生きるか、どちらかだと示されているのです。私たちは創造主、造り主なる神様に養われて生きていくか、それとも自分の命は自分のものだとして生きるのか、考えましょう。