1: 神によって
今日は、「一つ」になること、教会が神様を中心として、「霊による一致を保つように」歩むことを考えていきたいと思います。まず「一つとなる」「一致する」ことが、神様に結ばれてこそ始まることだと、強く教えるパウロの姿があります。そしてまた、それほどに「一つとなる」ことの難しさがあることも示しています。「一致する」とは神様に結ばれてこそ始まること。
2: 人間的に一つ
今週8月に入りました。今日は、少し平和についても考えてみたいと思います。平和を思う時に、一つとなること、みんなが思いを合わせることの大切さを感じます。神様によって一つとされていきたいと願うのです。多種多様な、違いのあることが理解し、分かち合う中で、神様に招かれて「一つ」になることが、本当の「一つ」だと教えます。
人間的に「一つとなる」ということはだいぶ違うのです。人間的に「一つとなろう!!」と呼びかけること。それは同一になること、同じ考え、同じ思いになること、そして、同じ方向にすすむことであるのだと思うのです。そして、これが、人間が造りだす、限界、人間の力の限界であるのかもしれません。
3: 神がまず愛された
「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。」(Ⅰヨハネ4:10-11)
神様は私たち人間をそのままで受け入れる決意をされたのです。神様は違う者でありながらも、私たち一人ひとりを受け止めるために、私たち人間のすべてを愛されるために忍耐を、愛を表されました。それは、死に向かうまでも、人間には誰一人できない忍耐を示されたのです。それがキリストによって、キリストの命によってあらわされたのです。違いを受け止めること、違いを理解して、一つとなることは、命がけ、苦しみを伴う行為ということです。
4: 賜物として
「一致する」「一つ」となることは、決して同じもの、同じ色、同じ意見、同じ考えになることを意味しているのではありません。「違い」があることの大切さを意味するなかでの「一つ」、そして「一致」を示しています。「多様性」「不一致」のなかで、「一つ」となることはどのようなものを目指すのでしょうか。
それは「一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。」とあります。私たちはキリストの愛を覚えるのです。愛を、キリストからいただいて、いただき続けて生きること、満足することなく、完成もなく、いつまでも途上にあると覚えて歩み続けることであるでしょう。
私たちは、今こそ、お互いを喜んで生きていきましょう。キリストの愛を受けて生きていきましょう。
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