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2013.9.1 「安息日の主」 マルコによる福音書2:23-3:6

1:  安息日 

 今日の箇所2章23節からと、3章1節からの二つのお話は安息日というテーマで結ばれています。

 安息日の根拠は十戒にあります。安息日は捕囚の中にあって、神殿を失った人々にとって、自分たちの信仰を守るためにも神様への信仰を示す大切な行為であったでしょう。創造主なる神様が休まれた日、安息日をいただく。安息日を守ることから、創造主なる神様からの信仰を受け取っていったのでしょう。これがユダヤの人びとにとって大切な安息日です。

 

2:  安息日とは人のために 

 イエス様の弟子は、今日の箇所にあって安息日に麦の穂を摘み始めました。ユダヤでは、この行為自体は許されていました。共に分かち合うことが求められていたのです。ただ、イエス様の弟子たちの行った日は安息日でした。ファリサイ派の人びとはこのイエス様の弟子の行為を、「労働」「仕事」の一つととらえたのです。

 

3:  命を救う日 

 イエス様はここで、あえて人々の注目の中に出ていきます。手のなえた人に「真ん中に立ちなさい」(3)と言われ、人々の真ん中に立たせて、人々の注目を向けます。そして、このように言われたのでした。「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」(マルコ3:4)安息日の本質は「命を喜び、命を慈しむこと」。安息日であるからこそ、神様は命を尊ばれて、安息日を定められたのではないのかと、イエス様は問われているのであります。

 

4:  命をかけた救い  

 「そこで、イエスは怒って人々を見回し、彼らのかたくなな心を悲しみながら、その人に、『手を伸ばしなさい』と言われた。伸ばすと、手は元どおりになった。」(マルコ3:5)「手を伸ばしなさい」という言葉はイエス・キリストの命をかけた言葉でした。この言葉によって、キリストは十字架に向かう道へと進められていくのです。安息日の癒しは律法違反となる「死」への道です。

 「命を救うこと」は隣の人のために命をかけて戦うこと、愛すること。それもまた自分のためではなく、相手のために自分の命をかけて生きることです。命を救うこと、善を行うこと、そしてそれは愛することです。イエス・キリストは、自らこの片手の萎えた人のために、命をかけて癒されました。共に苦しみ、共に痛み、共に病を思う人が与えられたからこそ、病は、その時に癒されているのです。

 安息日はキリストの十字架によって回復されました。新しく命が創造される時。キリストの十字架をもって、新しい安息を告げるのです。私たちは新しい安息の時キリストの命に与るのです。イエス・キリストが命をかけてまで戦った十字架、その恵みによって与えられる命の解放につながりましょう。