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2013年9月11日 「神の救いの衣」 創世記3:14-24

1.      神様の救い ( 創世記 3:20-21 )

 3章前半の話ですが・・・

 人間は、6-7節において善悪の実から目を開け、自分たちの裸を知りました。それは自分たちの関係を知ること、神様との関係を知ることでもあったのでしょう。その中にあって、人間は「いちじくの葉」でお互いを覆ったのです。人間は、お互いの裸を隠す者となり、この後8節には、人間は神様からも隠れる者となったのです。

 人間はお互いの関係も、神様との関係においても隠れる者、ゆがみを持ち、そして「いちじくの葉」を持つものとなりました。つまり「いちじくの葉」という関係の壁を、自分から持つ者となったということ、人間がお互いにそのような離れる者、隠れる者となったということです。

 そのような人間に、神様が与えられたのが「皮の衣」です。「主なる神は、アダムと女に皮の衣を作って着せられた。」(3:21)主なる神様は、アダムとエバ、人間に「皮の衣」を作り着せられました。「皮の衣」とは、動物の血、その命を絶ち、そこから造られた衣を表します。ここで人間はこの動物の命によって包まれたのです。

 「弱さ」を持ち、「誘惑」に襲われていく者です。神様は、そのような人間との関係の回復をするために、その関係が復活するために、一つの命をもって共に生きる者となられることを示してくださったのです。人間の「弱さ」、「誘惑」に襲われていく、その中にある、人間の辛さと思いに・・・神様が命をかけて共に生きると、そして一緒に戦うと、それを「皮の衣」が表します。

 

2.      神様の御業

 神様の救いは、神様の御業として神様から与えられます。

 人間は「いちじくの葉」によって自分を覆います。神様と人間の関係、そして人間のお互いの関係を絶つのです。人間は自分を守るために「孤立」して「孤独」する者となるのです。それに対して神様は「皮の衣」として「命の衣」を与えます。「命」と「命」を繋げる衣です。これが神様の救いです。神様は痛み、苦しみの中にあって、神様から離れる誘惑に襲われる者。「孤立する者」、「孤独となる者」に「命を繋げる衣」を与えるのです。

 

3.      善悪を知る ( 創世記 3:22 )

 「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」(22)ここで善悪を知ること、知識を得ることは奨められていません。しかしまた、無知、無能での神様への服従を推し進めているのではないでしょう。

 Ⅰコリント1:19-25

 「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。それは、こう書いてあるからです。『わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さを意味のないものにする。』知恵のある人はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。」

 聖書は人間的知恵・自分に頼る思いではなく、神様に信頼を置きなさいと教えています。ここに神様との関係があります。もっとも賢い者「蛇」に「誘惑」されて、人間的知恵・善悪を知り、そして神様との関係から離れていく。人間が神様に信頼するところから、他のもの、自分の知恵、また他者、他神を中心にして生きていくときです。

 

5.      追放 共に生きる神 ( 創世記 3:23-24 )

 神様は、人間をエデンの園から追い出しました。わたしたちは今どこにいるでしょうか。それは「追放」された場所、神様との関係は離れた場所、ゆがんでしまったところにいるのです。そして、このところまできてくださった方が「イエス・キリスト」です。私たちと共に生きる方イエス・キリストが来られたのです。イエス・キリストが命をかけて、十字架まで、その死までも、私たちと共に生きると示されたのです。

 アダムは追放するときに「皮の衣」を着せて追放されました。私たちは今「キリストの衣」を着て、その命を着て生きていきていきたいと思います。

 ガラテヤ3:27

 「洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。」

 

 

 

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