1: イエスの家族
イエス様の母、兄弟たちは、「外に立ち、人をやってイエスを呼ぶ」のです。イエスの家族の立つ位置は、「外」です。外に立ち呼び出すイエス様の家族に対して、イエス様の周りには、イエス様の言葉を求める人々がいました。これは外に立つか、近くに座るか。この距離の問題ではなく、イエス様との生きた関係を求める言葉なのではないでしょうか。
イエス様は、この言葉「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と、今、私たちに問いかけているのでしょう。
2: 立ち止まる
イエス様の眼差しは私たちに「わたし」と「あなた」という関係について、考えてみなさいと招いている眼差しでもあるのでしょう。生活が普通に流れる中にあって、突然の出来事によって、立ち止まる時。そのような時はこれまで当然だと思っていたことに、もう一度、目をむけるチャンスともなる時なのだと思います。わたしたちは、家族の関係を基とする、人間関係をもう一度立ち止まり、何が本当の中心にあるのか、考える必要があるのではないでしょうか。その共同体を支えるもの、その関係を支えている本当の根源的な「わたし」と「あなた」の関係はどこにあるのか。
その問いかけに目を向けていく必要があるのではないでしょうか。イエス様の眼差しは、私たちの心を見つめ、見回しています。わたしたちが立ち止まるための招きを。そしてもう一度、普段は考えないこと、当然だと思う事柄について、その恵みをもう一度覚えてみなさいという招きでもあるのです。
3: 御言葉に生きる
「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」。それは、イエス・キリストの家族として、神様の御言葉を受けて共に生きる者です。イエス・キリストはこの世に来て、そして私たちの罪の贖いとなり、十字架にかかり、死んでくださいました。そして命の主としてよみがえり、今もとこしえに、わたしたちと共に生きてくださっています。これが神様の福音。愛の御言葉です。
神様の御言葉に生きるとは、この愛に立ち、この愛に生きる。そして、お互いに愛し合うことに続くのです。
4: 神の家族
「神の御心を行う人」。それは、神様の愛の御言葉を受けて、その愛に立ち、方向転換をして、新しく生きることを決めた人です。これが神の家族、イエス・キリストにつながる関係の者。神の信仰共同体です。イエス・キリストは招き続けています。わたしたち一人ひとりを招き続けています。私たちは、このイエス・キリストの招きに応えていきたいと思います。
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