待降節の2本目の蝋燭に火が灯りました。クリスマスを迎える喜びの中で、「わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救って下さい」という祈りを取り上げます。
私たちが毎週礼拝で祈る「主の祈り」は「我らを試みに会わせず、悪より救い出し給え」となっています。すると、自分の身の上に、そしてせいぜい家族の上に、何か悪いこと、事故とか、病気とか、失業とか、災害が降りかからないようにという祈りになります。しかし、これを「悪しき者」と翻訳しますと、今まで見えて来なかったことが見えてきます。
第一に、本当に危険なものは悪しきことの背後にある悪しき人格的な力を意味する「サタン」であることです。悪しきことの背後にあり、神の愛を疑わせ、私たちを自暴自棄に陥らせる力なのです。私たちが正しく生きることを虚しくさせる力です。病気という悪しきことに直面しても、信仰によってしっかり生きることが出来るし、他方、ちょっとした悪しきことで、心を頑なにして、怒りや憎しみに捉えられてしまい、自分で自分の命を奪ってしまったり、自分の親や子を呪うことさえあるのです。
第二に見えてくることは、どんなもの、どんなことでも、私たちを誘惑しうるという可能性です。日本人はテレビを見る時間は世界最長と言われていますが、試みとは何か悪いことだけではなく、知らず知らずのうちに私たちの生活に侵入してくるものであり、必ずしもあからさまな反抗という形を取らないのです。
第三に、私たちの理想や善いもの、愛するものでさえ私たちを神から遠ざける原因になりうるということです。善を装って「あなたのためですよ」などと言って、実は善意を押し売りする、それが一番人を傷つけるのであることを心に留めておくべきことでしょう。
こうして私たちは、あらゆる所で、あらゆる時に、あらゆるものを通して、誘惑され得るのです。しかし、感謝すべきことに、「わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください」と祈ることによって、そのような悪しきいざないから自由にされるのです。この祈りなしで生活できると思い込んでしまうことはすでに誘惑に陥っているのです。(松見 俊)
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