1. 箱船に入りなさい ( 創世記 7:1-5 )
ノアは、神様の御言葉を信じました。雨も降らない中、海の上、川の上にではなく、陸の上に、大きな箱船を造ったのです。周りの人々はどのように思ったでしょうか。
「何を考えているのだ」「目の前に、水もないのに船を造って・・・人間的計画性のない。」と思ったのではないでしょうか。それでもノアは箱船を造りました。そして、清い動物すべてを7つがいずつ、清くない動物すべてを1つがいずつ集めて、空の鳥も集めました。ここにノアの信仰があるのです。
「信仰によって、ノアは、まだ見ていない事柄について神のお告げを受けたとき、恐れかしこみながら、自分の家族を救うために箱船を造り、その信仰によって世界を罪に定め、また信仰に基づく義を受け継ぐ者となりました。」(ヘブライ人へ手紙11:7)
どのような状況においても、神様を信頼して「すべて神様の命じられたとおりに」生きる。それが神様に委ねるということでしょう。ノアの信仰はここに示されました。
これは神様からの一つの試練であったのかもしれません。神様に従うということ、信仰を受け取るための、試練であったのでしょうか。
私たち人間にとって計画することは大切です。人生設計、未来の計画。しかしまた、この話は神様に委ねることほど信頼できることはないことを教えます。私たちは未来のために、なによりもまず、神様に委ねることを覚えたいと思うのです。
どれほど完璧な人生設計でも、突然の病気、突然の事故が襲い掛かるときに、どれほど保険、補償があってもむなしいものです。わたしたちにとって、まず命の根底に神様に委ねることほど信頼できることはないのではないでしょうか。
それは、まさに、神様の御言葉にしたがったときには、土のうえに船をつくるようなことでも、神様の御言葉を信頼する、それが信仰だと教えているのです。まだ見えない未来。この先どのようになるかわからない。それでも神様は教えます。「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」(詩編37:5新改訳)
2. 洪水 混沌へ ( 創世記 7:6-16 )
洪水を免れるために、清い動物も清くない動物も、鳥も地を這うものも、すべてが箱船にやってきました。それは、雄と雌、二つずつやってきたのです。そして、ノアの妻と3人の息子セム、ハム、ヤフェトと、その嫁たち、ノアの家族も箱船に入りました。そして、最後にノアが船にのり、主はノアの後ろで戸を閉ざされました。それは、だれでもなく、神様がノアの後ろで戸を閉ざされたのです。
「戸を閉ざす」。この意味として、神様が主権をもって、ノアの後ろと定め、閉められたということ、その意味はとても大切だと思います。
もう一つの意味として神様が「戸を閉ざされた」こと、それは神様が、ノアを混沌から救われたことも大きな意味でしょう。
閉ざされた後、洪水が起こされます。「この日、大いなる深淵の源がことごとく裂け、天の窓が開かれた」(11)とありますように、洪水は、創造された世界の混沌の状態、「地は混沌であって、闇は深淵の面にあり」(創世記1:2)という状態に戻すことを意味する出来事でありました。
この地は混沌に戻されたのです。ノアが、この洪水、混沌の状態から免れるために、主が箱船の戸を閉ざされました。それは、ノアが混沌から逃れるための神様の御業であったのでしょう。ノアは地上が混沌に陥る中、神様の御業によって救い出されたのです。
神様は、ノアのために、そして、今私たちのために、私たちがこの世の「混沌」「誘惑」から逃れるためにも、「戸を閉ざして」下さるのです。そのために、私たちは「わたしたちをみこころにあわせず、悪より救いだしたまえ」とお祈りするのです。
神様は主権をもって「戸を閉ざされる」のです。それは、私たちの力ではなく、神様の御業です。「戸を閉ざす」方は神様です。私たちは、この神様に願い、「戸を閉ざして」いただくのです。
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