1: 言は肉となった
「はじめにあった」もの「神と共にあった」もの「神であった」ものである「言」、それはつまり、独り子である神、イエス・キリスト。この方、イエス・キリストが、「肉」として、この世に来られた。「言」イエス・キリストが「肉」となられたと、ここで語られるのです。
2: わたしたちのあいだに
キリストは、「わたしたちの間に」来られたのです。「言」である方、イエス・キリストは、人間と人間の間、わたしたちの間に来られました。それは神と人間という関係において、また人間と人間という関係において、イエス・キリストはこの世に来られました。その最大の意味は、私たちが、私たちの間に、愛をいただくために、そこにキリストが来られたのでしょう。「愛」は、一人で表すことはできません。神さまと、人間の間に、神様が私たちを愛するという間に愛は示されます。そして、わたしたち人間と人間の間に、その間に、「愛」は与えられ、表されるのです。
3: 愛として
わたしたちの間にキリストは来られました。神様は、自らが愛を示し、私たちを愛していることを示されるために、イエス・キリストをこの世に送られました。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。」(ヨハネ3:16-17)
神様は、私たちを愛してくださったのです。神が人間を愛する。そして、人間は愛されて初めて、愛を知るのです。私たちは、愛をいただいて、初めて愛する者に変えられるのです。
4: クリスマス
クリスマスの時。主イエス・キリストは、私たちのうちに、私たちの間に来てくださいました。今、イエス・キリストはどこにいるのでしょうか。それは、わたしたちのとなりにいる人。またわたしたちが日々出会う隣の人との間に、イエス・キリストはおられるのでしょう。
クリスマスに、わたしたちは隣の人に出会い、隣の人からイエス・キリストに出会うことが、イエス・キリストの愛をいただくことができるのです。
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