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2014.1.8 「乾いた地上」 創世記8:13-22

1.      地上は乾いた ( 創世記 8:13-14 )

 ノアが601才の時に地上の水は乾きました。ノアが箱船の覆いを取り外して眺めると、地は乾いていました。これまで世界には、地上のすべてを覆い尽くす洪水がおこったのです。

 わたしたちの身近な出来事として、「洪水」という災害、また、「津波」「地震」という災害が、東日本大震災という大きな災害として起こりました。また最近では、夏の台風、フィリピンでの台風など、大きな災害の映像が流れています。

 13節において「乾く」という言葉は、「荒れ果てる、廃墟になる」という意味があります。ノアは窓を開けて、「水が乾く」状態を眺めたのです。それは、災害を経験し、廃墟となった、ひび割れた大地と無残な町を見つめるときではないでしょうか。ノアは、そのような荒廃した大地を目の当りにしたのです。そのような意味で「地上の水は乾いた。ノアは箱舟の覆いを取り外して眺めた。見よ、地の面は乾いていた。」(13)と記されているのではないでしょうか。「地は、廃墟となっていた」のです。

 そして、その後・・・聖書は「第二の月の二十七日になると、地はすっかり乾いた。」(14)と語るのです。ノアが見つめたあと1ヶ月半あと、「地はすっかり乾いた」のでした。それは、最初の「乾いた」とは違う原語、違う意味での言葉「すっかり乾いた」でした。この「乾く」という言葉は、創世記1章10節における言葉と同じ言葉で使われています。

 創世記1:10-12

 神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。神はこれを見て、良しとされた。神は言われた。「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。」そのようになった。地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさせた。神はこれを見て、良しとされた。

 14節の「乾いた」とは創世記1章における言葉、新しく命を生み出す、「乾いた地」という言葉です。神様は、今日の箇所において「乾いた地」から、新しい命を与えられたことを示されました。乾いた地。それは、廃墟、荒れ果てた地から、新しい命を与えられるのです。目の前に見える廃墟、苦しみは、神様の御業によって、新しい命が与えられ、新しい希望の命が与えられることが示されています。

 

2.      箱船から共に出なさい ( 創世記 8:15-19 )

 神様は、ノアに語ります。さあ、あなたもあなたの妻も、息子も嫁も、皆一緒に箱舟から出なさい。すべて肉なるもののうちからあなたのもとに来たすべての動物、鳥も家畜も地を這うものも一緒に連れ出し、地に群がり、地上で子を産み、増えるようにしなさい。」(16-17)

 ノアは、神様の御言葉を受け取って外に出て行きます。ノアは、窓を見て、周りを眺めて、新しい大地を見てただ、一人、自分から外に歩み始めていったのではなく、まず、神様の御言葉に耳を傾けます。ここに、ノアの神様が主体いう信仰の姿があります。ノアから、神様の御言葉を聞くこと、神様を主体に生きることが教えられます。

 「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」(マタイ22:37-40)

 第一の掟、神様との愛の関係に生きることがここに示されます。このたての関係、神様の御言葉を受け取って生きることが、私たちに示されているのです。そして神様が教えられた御言葉、それが、第二の掟、「隣人を自分のように愛しなさい。」という言葉につながる、横の関係にあたる言葉でした。神様は、ノアが一人ではなく、家族も、すべての生き物も、連れて共に出ていくように教えるのです。これが神様の御言葉です。神様は、家族も、すべての生き物も愛し、共に生きることを教えられているのです。

 そしてノアは、その神様の御言葉を聞き、家族と、すべての生き物と共に箱船から出て行ったのでした。そこには、獣も、這うものも、本来共に歩むはずではない動物さえも、ノアは神様の御言葉と信じて、共に出発したのです。

 これが新しい出発、新しい大地の始まりです。神様の御言葉を主体として、神様の愛の関係を受け取り、どのようなものとも共に生きる恵みを受け取ることが示されているのです。神様の御言葉であり、その言葉に生きる。ノアの姿は、そのような神様の愛に生きる一つの姿が示されています。

 

3.      主の慈しみ ( 創世記 8:20-22 )

 神様は、この「ノアの箱船」という洪水の出来事を通して、「悪に満ちた世代を滅ぼしても、人間の心から悪は消えない」ということを、つくづく知ることになったのでしょう。そして神様は心を変えられました。人間が変わることではなく、神様ご自身が自ら人間を理解する者となられたのです。神様がへりくだる形を示されたのです。

 「互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」

フィリピ2:5-8)

 カルヴァンはこのように語っています。「我らの希望は、汝のうちなる救いのほかなく、我らの信仰は、汝の自由なる約束の上に立てり。主よ、願わくは我らに平和を賜い、我らを心安らかにせしめ、確かなるものとし給え、そは我ら常に汝の力を待ち望むべければなり。」神様は私たちのところに来てくださっていている。それがイエス・キリストによってしめされました。神様の恩寵、慈しみです。私たちは、この神様の信仰、神様の愛の内に立って、歩んでいきたいと思います。