「変身すること」は私たちの基本的な願望かも知れません。子どもは、協力したり、合体したりして変身し、悪の力と戦うことに心を躍らせます。あるいは変身というよりも「進化」することが楽しいようです。女性たちも化粧、髪形、服装などに熱心です。でも、高齢者たちには「変身」は縁遠いのかも知れません。長く生きてきた、その歴史の刻みは変えることはできないし、変える必要もないのでしょう。今日のテーマは「変身」か「新生」かです。
・ニコデモ
彼はパリサイ派で、宗教的に熱心で、精神的に立派な人であり、おまけに議員でした。社会的にも成功者です。でも、彼はなぜ、年若いイエスを訪問したのでしょうか。
・ニコデモの想い
彼は人目を避けて夜、主イエスを訪問します。彼は社会的に成功し、地位も名誉も手にし、そして宗教的深みも経験していたのですが、それでもなお、何か足りない、その最後の数パーセントの空白を埋めるためにイエス様を訪問したのではないでしょうか。彼は真面目な人生の求道者です。そして人はだれでも、そのような心の隙間を持ち、どこか漠然とした不安を抱えて生きているのです。
・新しく生まれること
しかし、イエス様は「人は新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」と言われます。自分の経験、蓄積してきたもの、成し遂げてきたものをいくら積み重ねても、所詮それらは「肉から生まれるものは、肉にすぎない」のだ、という現実を乗り越えることはできません。あと少し足りない「何か」ではなく、「新しく生まれること」が必要なのです。人はだれも1回目は母親から、2回目は上から「霊」によって生まれねばならないし、生まれることができるのです。
・新しいことと古いこと
聖霊によって新しく生まれることは、今までの歴史、知識、経験を全く無駄にすることなのではありません。そうではなく、それらが全く新しい光の中で位置づけられ、意味づけられるのです。過去の経験が多くの失敗や挫折を含めて、万事を益として下さる神によって新しく輝きだすのです。嬉しく、不思議なことです。バプテスマを受けて新しい人生を始めて下さい。それは「今でしょ!」(松見 俊)
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