1: 芥子種
イエス様は神の国を芥子種でたとえられました。イエス様の「たとえ」には2つの意味があります。
一つ目は、からし種が「どんな種よりも小さい」と語られているように、とても小さいものだということです。神の国は「小さい」もの「小さい出来事」、そして「小さい人間」のところに来られるということです。これが「小さい」ということ、からし種にたとえられる一つの意味です。
そして、このたとえの2つ目の意味は、この小さい種が、成長すると3メートルほどの大きなものになるということです。これがイエス様のたとえの二つ目の意味です。イエス様は神の国が地上に蒔かれるときに、からし種のような「小さなもの」から「大きなもの」へと成長すると語られています。
2: 小さい神の国
小さいものとして、この世に神の国は来られたと教えられます。それは、わたしたちの日常においての感じ方を意味するのでしょう。わたしたちの日々の生活の小さいものとして、あまり感じないものとして、神の国が与えられていることを教えているのです。イエス様は、私たちの日常の小さな一つの出来事の中に、神の国、神様の愛の支配があることを感じて生きることを教えられているのです。
わたしたちの日々は、生まれたときから、すべて、何も落ちることがなく、神様によって守られ、導かれているのです。
3: イエスの弟子となる
日々の生活で、小さいところにある神の国、神の愛に応答する。その姿勢が、弟子としての姿勢だと教えられているのです。弟子とは「日々、自分を捨て、自分の十字架を背負って、主に従うことです」。イエス様は、このように教えられました。イエス・キリストの弟子になるとは、日々、神様の御言葉を聞くこと、神様に応答することを求めています。
4: 大きな巣をつくる使命
イエス・キリストの弟子が作る、大きな野菜の大きな枝。それは、現在の私たちで言えば、キリストを中心とした教会です。日々、神様の御言葉に応答するために集まった教会です。教会にとって「空の鳥」は、いまだ「主の御言葉」を知らない人々、応答していない人々です。
今、教会に与えられている使命は大きな巣を作ることでしょう。小さな種、神の国としての御言葉をいただき、キリストの愛を受けて。私たちは、日々、愛の中で生きるときに、大きな巣を作るものとして生きることが、使命として与えられているのです。
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