1. 産めよ、増えよ、地に満ちよ ( 創世記 9:1-2 )
洪水後・・・神様はノアと、その家族を祝福されます。「産めよ、増えよ、地に満ちよ。地のすべての獣と空のすべての鳥は、地を這うすべてのものと海のすべての魚と共に、あなたたちの前に恐れおののき、あなたたちの手にゆだねられる。」(1-2)
この9章の言葉は、神様が世界の新しい創造、新しい祝福の言葉として語られました。神様が世界を創造された時の6日目の祝福の言葉、創世記1:28節の言葉・・・「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」(創世記1:28)
洪水ののちに神様はもう一度世界を祝福して「産めよ、増えよ、地に満ちよ」と語られたのです。
神様の「極めてよかった」という創造のなかにあって、罪に堕ちていった人間です。神様から離れた人間です。「人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ」(21)とあるように、洪水によっても人間の罪の本質は変わることはありませんでした。しかしまた神様は、そのような人間を絶やすことではなく、神様が赦され、人間に寄りそう方となってくださったのです。「産めよ、増えよ、地に満ちよ」。神様は人間を赦し、新しい命の道を開かれたのでした。
ノアは神様に礼拝しました。(8:20-21)神様の差し伸べてくださる御手を受けとり、その交わりの中に生きる者とされたのです。人間の心は自分自身で変えることはできません。神様の祝福、神様の御言葉から赦しをいただいて、神様との交わりに生きる中で変えられるのです。
2. すべてを食料とするがよい ( 創世記 9:3-4 )
神様は「動いている命あるものは、すべてあなたたちの食糧とするがよい。」(3)と教えられます。新しい時代において、すべての命あるものを食べることが許されました。
ノアとその家族は、洪水の間箱船の中で過ごしてきました。箱船での生活が長くなると食料もだんだん尽きてきたことでしょう。洪水が終わり、外に出て、新しい世界の始まりの時に、まず「すべてあなたたちの食糧とするがよい」という神様の御言葉は、本当に喜びの御言葉です。ノアとその家族が抱える不安を、神様が知ってくださり、その不安の中に御言葉をくださる。そんな御言葉であったのだと思います。
神様は「動いている命あるものは、すべてあなたたちの食糧とするがよい。」(3)と語り、そして「ただし、肉は命である血を含んだまま食べてはならない。」(4)と加えられます。この御言葉によって、「命」を支配する者は神様はであり、人間が「命」を支配するものではないことを教えられます。
神様は食べることを許されました。しかしまた、人間が食べることを許されたことと、人間が命を自分勝手に利用すること、好き勝手に扱うことができるというのは、まったく違う意味です。あらゆる動物の命は神様のものです。
神様が与え、育て、生かしてこられた一つの命を、私たちは神様からの命の糧としていただくのです。神様との関係において、「命」をいただくのです。私たちは、神様との関係の中で、あらゆる動くものの命を、私たちの命の糧としていただくのです。
私たちは神様に愛される者として食べて、成長します。そして、神様に愛される者として大きくなり、神様から愛をいただき、愛をお返しして、神様に従い、仕える者として生き続けるのです。これが、神様の御言葉「産めよ、増えよ、地に満ちよ」という神様の御言葉における、食べることです。
3. 神にかたどったもの ( 創世記 9:5-6 )
「神は言われた。『我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。』神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。」(創世記1:26-27)
神様は、神様にかたどって人間を創造されました。人間の命と価値、その尊厳は、神様にかたどられ造られた者として与えられました。わたしたちは、神さまにかたどられた者として、一人ひとりが大切な人間として生かされているのです。
ルカ12:6-7
「五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。それどころか、あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」
最近は結婚のために一緒に勉強をしています。「神にかたどられた人間」「神にかたどられた男と女」(創世記1:27)という箇所からも学んでいます。そこで「神にかたどられた」とは、神様と向かいあうために、おたがいに向かい合うために、と学びました。私たちは、神様に似せて造られました。お互いに向かい合うことができる者として、神様は、私たちをかたどられたのです。
エフェソ2:14-16
「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」
わたしたちは、人間同士、向かい合う生き物です。お互いに血を流しあうのではなく、お互いに向かい合う者として造られているのです。その間にイエス・キリストが立っていてくださるのです。
4. キリストと結ばれる人
Ⅱコリント5:17-19
「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。これらはすべて神から出ることであって、神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。」
神様はこの世にキリストを送られました。本当の祝福の出来事として、新しい創造の出来事として、神様はイエス・キリストを送ってくださったのです。イエス・キリストの十字架の出来事によって、人間は新しく造りかえられました。
神様と私たちの間に、イエス・キリストは来てくださいました。わたしたちは、イエス・キリストによって、神様から離れることなく、神様と和解する者、神様と結ばれた者とされたのです。
わたしたちはイエス・キリストに結ばれた者として、神様、そしてお互いに向き合い歩んでいきたいと思います。
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