神様の祝福の成就 (創世記10:1)
この諸民族表において注目することは、イスラエルの位置です。神様は確かに人間、全人類を祝福されました。今日の箇所からわかるのは、神様の祝福においてイスラエルが特別視されることなく、すべての人々に神様の救済と恵みが与えられることが示されているということです。この諸民族の一覧表においてイスラエルは特別選ばれた民ではなく、神様に祝福された人間、全世界の民族の中の一つとされています。
今日の箇所において、ノアから出発して・・・イスラエルという言葉はでてきません。どのようにつながっていくのでしょう。イスラエルの祖アブラハムにつながる人、それはセムの子孫としてアルパクシャドという名前で現れます。イスラエルはアルパクシャドの子孫アブラハムの子孫として記されていきます。アルパクシャドは、他にいるどの諸民族とも変わらない立場、変わらない位置に置かれています。
神様の祝福は、ノアを通して全世界に向けられました。それはイスラエルに限定されたものではなく、全世界に向けられているのです。今日の文書における、諸民族はイスラエルにとって圧迫する者、敵対する者も共に記されています。そのなかにあって、それら諸民族と同じ立場に置かれること、同じ祝福の位置に置かれているというところから、イスラエルの民は出発するのです。
ヤフェトの子孫 (創世記10:2-5)
2節からヤフェトの子孫として14の民族の名前が挙げられます。ヤフェトの子孫は、小アジア、キリキア、地中海世界の民を指しています。ここからわかることは、小アジア、シリア、メソポタミアを支配したヒッタイト帝国、紀元前1900年ほどに起こり、1390年に最盛期を迎え、1200年頃に崩壊したとされる帝国は、すでに崩壊していたということです。ヤフェトの子孫は、「海の民」とされ、エーゲ海から来襲し、ヒッタイト帝国を崩壊させた「テュルセニア人(ティラス)」。小アジアの海岸地方を侵入しつつあった「イオニア人(ヤワン)など・・・ヒッタイト帝国を崩壊に導いた民族、またその地に住んでいた昔からの民族の名前などが挙げられています。
そしてまたそんなヤフェトの子孫は、このあとに語られる、セム、ハムにくらべて、イスラエルにあまり関係の深くない諸民族でありました。そのため、ヤフェトの子孫に関しての記述がこの中では一番少なくなっています。それでも、遠く地中海から、シリア、小アジアの民族が同様の祝福をいただく者であることがここに記されているのです。関係の深くない者、関心のない遠くの者である。当時の人々にとっては、世界の果てと感じられるところの人々の名前が挙げられて、同じ神様の恵みの内に置かれていることをここに記しているのです。
ハムの子孫 (創世記10:6-20)
ハムの子孫を見ていくと・・・「クシュにはまた、ニムロドが生まれた。ニムロドは地上で最初の勇士となった。彼は、主の御前に勇敢な狩人であり、「主の御前に勇敢な狩人ニムロドのようだ」という言い方がある。彼の王国の主な町は、バベル、ウルク、アッカドであり、それらはすべてシンアルの地にあった。彼はその地方からアッシリアに進み、ニネベ、レホボト・イル、カラ、レセンを建てた。レセンはニネベとカラとの間にある、非常に大きな町であった。」(8-12)
ここにニムロドという名前が現れます。ニムロドは地上で初めての権力者、国家を建設した者と言われます。「主の御前に勇敢な狩人ニムロドのようだ」(9)この言葉における「主の御前」とは「地上において」という意味においてです。ニムロドという名は「謀反する」という言葉から由来する名前であり、神様の御心に反する者として「ニムロド」が記されています。
ミカ書においては「ニムロド」とはアッシリアとなっていますが、今日の箇所においては、アッシリアに合わせて、「バベル(バビロン)」「ウルク(現在のイラクと言われている)」「アッカド(メソポタミア最初のセム系王国の首都アガデ)」「シンアル(北シリアのクラナ、『それらすべて』という意味)」が記されています。
ハムの子孫は、このアッシリアを代表する「ニムロド」に合わせてエジプト、カナン、そして、ソドムとゴモラという神様の意志から離れ滅ぼされた町や、イスラエルに敵対する国々が記されています。
しかしまた、今日の民族表は、それらの民もまた、ノアから出た、神様の祝福の内に導かれているということです。今、敵対する者、神様の意志に反するもの、神様の御心から離れ罪の道を歩み続ける者。そのような者も、すべて、ノアの子孫として、洪水の後の神様の祝福の御言葉のうちに生かされている者であるということです。その祝福を受ける者として、神様の御言葉を受ける一人ひとりとして生かされているということを、ここに示しているのです。
セムの子孫 アブラハムからイスラエルへ (創世記10:21-32)
最後にセムの子孫について記されていきます。最初に挙げたように、セムから、アルパクシャドが生まれ、アルパクシャドからシェラが生まれ、シェラからエベルからペレグが生まれたのです。この後の系図については創世記11章に記されていますが、こののち、ペレグの子孫として、テラが生まれ、テラの子どもとしてアブラハムが生まれます。ここからイスラエルの民族が始まっていくのです。
このように見ると、まさにイスラエルは、そのほかの民族に何もまさることもなく、ただ一つの諸民族の一つとして、記されている。それはまた、ノアから始まり、祝福の内に入れられた人間、全人類の一人、一つの民族として、喜びの中に入れられているということです。
恵みを分かち合う
ヤフェトの子孫は、関係の深くない者、遠く世界の果てにいる者と感じる人々を表します。また、ハムの子孫は、敵対者、神様の御心から離れる者、そのような人々を表します。そして、セムの子孫は、ほかの子孫と何一つまさることのないただ一つの民族として記されているイスラエルが示されます。
わたしたち自身は今、どこにいる者となって生きているでしょうか。教会、キリスト者は、自分が特別な者、救いを得た者となって、この世との関係が離れていないでしょうか。そしてこの世を神様の御心から離れた者として、関係を深く持たない者となっていないのではないでしょうか。そのような私たちに、今日の箇所は、「すべての者が祝福の内に入れられている」ということを教えます。神様の祝福は全世界、すべての人間に与えられたものであることを再確認させます。
神様の御心から離れ、逃げ出す者をも、神様は捕えていてくださるのです。わたしたちはその神様の祝福を感謝して、共に分かち合う者とされていきたいと思います。
コメントをお書きください