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2014.3.12 「混乱『バベル』」 創世記11:1-9


  1. 散らされる

     「彼らは、『さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう』と言った。」(創世記11:4)

     もともと、聖書において人類の広がりは祝福の出来事でした。「神は彼らを祝福して言われた。『産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。』」(創世記1:28)「この三人がノアの息子で、全世界の人々は彼らから出て広がったのである」(創世記9:19)特に、今日の箇所の直前、10章は人類の広がりを表す系図でもあります。

     しかし、今日の箇所創世記11章のバベルの塔の物語では「散らされる」ことが「全地に散らされることのないように」と否定的に語られます。その背景には、イスラエルのバビロン捕囚がありました。イスラエルはバビロンによって捕囚の民とされて、現実に散らされた民となりました。

     

  2. 一つとなる

     人々は「散らされる」ことから逃げだし結束し、「一つ」になろうと「塔の建設」をします。一つになること、結束することと聞くと、あまり悪いことには聞こえません。しかし、「異質のもの」「違うもの」が「同じものとなる」「同質とされる」、その意味での一つとなることは簡単に良いとは言えないでしょう。

     イスラエルの民は、バビロン捕囚の中で、名前が変えられて民族主義的な「同化」をさせられるという経験もしました。国家主義的統一政策、人間的統合は神様の御心から離れるものです。強要された統合。人間の統合は「混乱」へと導くものです。

     私たちは、違うものを受け入れることができるでしょうか、できているでしょうか。先日亡くなられた、南アフリカの元大統領ネルソン・マンデラは相手を「尊敬する」ことから他者を受け入れるということを始めたと言われています。

     キリストによって一つとなること。それは違いを受け入れ合うことです。イエス・キリストによって一つとなるとは、お互いの違いを受け入れ合うこと、違いを恐れず受け止め合うことです。だからこその主体となるのは、私たち人間ではないのでしょう。違う者同士が一つとなることは、人間が主体となった行為ではないのでしょう。イエス・キリストが主体となり、その愛を受け取って、私たちはお互いの存在を理解し、分かち合うのです。そのような意味で、私たちが共通し、共感するのは、「イエス・キリスト」です。私たちは「イエス・キリスト」によって一つとされるのです。

     

  3. 聞かなくなった者

     神様は「互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」(7)と語ります。これは「理解する」「聞く」ことができないようにという意味です。人々はお互いの言葉が混乱し、言葉を聞くことが出来なくなりました。それは「言葉を語らなくなった」のではなく「言葉を聞かなくなった」者です。わたしたち人間は他者の言葉を聞かない者ではないでしょうか。

     その人間の言葉にいつも耳を傾けている方、それがわたしたちの主、神様です。私たちは、神様がいつも私たちの言葉を聞いて下さっている恵みを感謝しているでしょうか。私たちの祈りを、私たちの嘆きを、痛みを、悲しみを、神様はいつもいつも聞いてくださっています。わたしたちには、「聞く方」、神様の存在があるのです。

     「キリストによって一つとなる」ための始まりは、祈り、嘆き、悲しみを聞いて下さる方、神様がいるという関係からはじまるでしょう。神様と人間という関係をいただく中で、神様に聞いていただいている者として、出発するのです。

     

  4. 聖霊によって 聞く者

     ペンテコステ 使徒言行録2:1-13

     使徒言行録におけるペンテコステの出来事。聖霊が下り、為された出来事の大切な出来事の一つとして、「聞く」ことがあります。ここではほかの国々の言葉で話しだした姿があるのです。しかし、ここでの聖霊の降りは、お互いが他者の言葉を「聞く」者とされた、その関係の始まりでもありました。お互いが、他者の言葉を「聞く」者とされたのです。

     神様に聞いていただく者は、その関係の中から聖霊をいただき、「聞く」者へと変えられるのです。「互いの言葉が聞き分けられぬ」(7)者となった人々が、イエス・キリストに出会うとき、神さまに「聞いていただく者」として「聞く」者へと変えられていくのです。わたしたちはイエス・キリストを中心として、神様から聖霊を受け取り、「聞く」者と変えられていきたいと思います。