1: ヤイロの願い
今日の箇所において、群衆の中、会堂長のヤイロという人がイエス様の前にやってきました。「娘が死にそうです」と、直訳すれば、「娘には終わりが近づいています」と。ヤイロは、「助けてください」「あなたが手を置いてくだされば、助かります」とイエス様にお願いしたのです。イエス様は、このヤイロの願いに応えて行動を起こしてくださいました。
イエス様はヤイロと共に、ヤイロの娘に向かって急ぎました。そんな中で、ヤイロから見れば最悪の事件が起こったのです。一瞬も失いたくない中で、イエス様は立ち止まられたのです。「出血のとまらない女性」のために、女性が本当の癒しをいただくために、イエス様は立ち止まったのです。
2: キリストとの出会い
イエス・キリストは立ち止まられました。イエス様は、この一瞬の時間も失いたくない中で立ち止まり、女性を見出し出会われたのです。それは、ただ少しの時間を費やして肉体的に治し、癒すためではなく、女性に出会うため、女性と顔と顔を合わせて向き合うためにです。イエス様にとっては、どのような人間であっても、どれほど急いでいても大切な一人です。この女性はキリストと出会いました。そして、「信仰」、自分の中で働いておられる神様の働きを知ったのです。愛されているという「信頼」、「信仰」をいただいたのです。イエス様は、この女性に、「安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」(34)と言われます。それはイエス・キリストによる、信仰と希望と愛の中での歩みだす、励ましの言葉です。
3: ヤイロの気持ち
イエス様の立ち止まりの間に、ヤイロの娘は死んでしまったのです。「女は癒されて、娘は死んでしまった」。ヤイロはそのような出来事を、どのような気持ちで受け入れたでしょうか。私たちであればどのように感じるでしょうか。イエス様に見放された。願いは聞き入れられなかったと、そのように思うヤイロの心があったのではないでしょうか。イエス様は、そのようなヤイロに、そして私たちに、答えます。「恐れることはない。ただ信じなさい」(36)「なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ。」(39)
4: 出会う方
少女のよみがえりの出来事によって、イエス・キリストと出会った者はヤイロです。2つの出来事を通して、ヤイロはキリストに出会いました。イエス・キリストは、すべての人々に「ただ信じなさい」とキリストに出会うときの信仰を教えられているのです。イエス・キリストはすべての出来事を通して、私たちに出会ってくださいます。「なぜだろう」と思うような出来事であったり、理解できないことからも、私たちはイエス・キリストに出会っていくこととなります。キリストは「ただ信じなさい」と言われます。「恐れることはない、ただ信じなさい」と教えられているのです。
コメントをお書きください