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2014.4.9 「希望への旅立ち」 創世記12:1-9

 

  

  1. 不妊の女サライ ( 創世記 11:30 )

     今日の箇所の前で、サライは不妊の女と記されています。聖書ではサライの他にもサムエルの母ハンナ、バプテスマのヨハネの母エリサベトなど何人かが不妊の女として記されています。そして、それは捕囚地にあるイスラエルを指しても「不妊」とも記されます。

     不妊の女サライ」と記されている意味は。比喩的表現として人間が人間の力だけに頼る時の希望のなさ、絶望を表しています。

     

  2. 留まることから旅立つことへ ( 創世記 12:1 )

     「主はアブラムに言われた。」(12:1)「不妊」という絶望の中で歩んでいた、アブラム一家に、神様が語りかけられます。神様はアブラムを召し出されます。生命を与える神様との関係を、神様自らが作り上げて下さるために、神様はまず語りかけて下さったのです。

     神様から語りかけて、命を与えて下さいます。そして私たちの心の中に入ってきてくださいます。この出来事を通して、神様が自ら私たちを正しい道へと、正しい神様との関係へと導かれるのです。神様が、私たちを呼び出し、神様との応答の道に歩ませて下さるのです。

     神様は「わたしが示す地に行きなさい」と語りかけられます。神様の招きは新しく歩きだすこと、旅立つことでした。神様は、私たちが同じ場所に留まっていることではなく、旅立つことを求められています。人間が自分の限界を感じて留まるとき、それは何も生み出しません。つまり「不妊」の状態です。神様はアブラハムに留まることではなく、旅立つことを求められたのです。それは、自分の限界から、神様の御言葉を聞くことです。自分の弱さを知るときに、神様の招き、その御言葉に立ち返ることを意味しているのです。

     

     

  3. 「祝福」の約束 ( 創世記 12:2-4 )

     アブラムは神様の招きに応えて旅立ったのです。しかもそれは75才のときでした。この後、イサクを生む時にも年をとりすぎていたとありますように、この時にもそれなりの年齢に達していたことが分かります。アブラムはそれでも神様の「祝福」の約束を信じて、神様と共に歩み出したのです。人間的な「安定」「安心」に留まることではなく、神様が示される道に従ったのでした。アブラムは、そこに「希望」を見ていたのです。

     

  4. カナン人 ( 創世記 12:6-7 )

     アブラムが向かうカナン地方にはすでに、カナン人が住んでいました。カナン人とは「神様の約束を信じない人」を象徴的に表します。アブラムは、カナン人という「神様の約束を信じない人」との出会いの中、困難の中にあって、神様の約束を与えられたのです。

     私たちは、現実の困難さ、社会の状況の難しさの中で、恐れてしまうことがあるかもしれません。しかし、私たちはその困難や、難しさの中にあってこそ、神様に委ねるのです。神様に委ね、導かる時に、神様は祝福と約束を成就され、希望を与えて下さるのです。

     

  5. 主の名を呼ぶ者 ( 創世記 12:8-9 )

     アブラムは、祭壇を築き、「主の御名を呼びます。」神様の御名を呼ぶことは、信頼の関係の中でこそ行う行為であります。

     私たちは、苦しみの中で、困難の中で、誰に叫び、助けを求めるのでしょうか。電話やメールが発達した現代にあって、私たちはまず「主の御名を呼ぶ」のです。アブラムは神様を信頼して歩み出し、そして困難の中にあって、神様を信頼し続けたのでした。そして、アブラムは神様との関係の中で、更に旅を続けたのです。

     私たちもまた、神様との信頼の中で、神様に礼拝して、神様の御名を呼び、これからも歩み続けていきたいと思います。