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2014.5.14 「人間的力を捨てて」 創世記14:1-16

 

 

 

  1. 戦いの世界 ( 創世記 14:1-7 )

     今日の箇所には、まず4つの国、そして4人の王が現れます。この4つの国について説明しますと・・・シンアルとは南メソポタミア地方を指し、シンアルの王アムラフェル王とはバビロンの王ハムラビとされてきましたが、現在はそうではないと考えられています。エラムとは、南西イランを指しています。そして、そのほかの国、王様のことはほとんどわかっていません。これら4つの国に反逆をした5つの国がありました。

     これについて説明しますと、ソドムとゴモラはペアで聖書にときどき出てくる国です。アドマとツェボイムは、ホセア書においてペアに出てくる国です。この5つの国は、死海の南にあったと考えられていて、5人の王様については何もわかっていません。

     「これら五人の王は皆、シディムの谷、すなわち塩の海で同盟を結んだ。彼らは十二年間ケドルラオメルに支配されていたが、十三年目に背いたのである。」(3-4)

     このように、この5つの国は、12年間ケドルラオメル王、つまりエラム国に従っていました。しかし13年目に反逆したのです。それに対して、14年目にエラムの王ケドルラオメルは、4つの国で戦闘に向かったのです。

      「セイルの山地でフリ人を撃ち、荒れ野に近いエル・パランまで進んだ。彼らは転進して、エン・ミシュパト、すなわちカデシュに向かい、アマレク人の全領土とハツェツォン・タマルに住むアモリ人を撃った。」(14:6-7)

     ケドルラオメル王を含む4つの国は、南下するにあたり、ヨルダン川の東を通り、一気に、アカバ湾まで下って行きました。そこから西に向きを変えシナイ半島やネゲブの民を撃破したのです。そして4つの国は5つの反逆の国と激突に向かいます。

     

  2. 欲望の中 ( 創世記 14:8-12 )

     「シディムの谷には至るところに天然アスファルトの穴があった。」(10)

     10節にこのようにあるように、この戦いの一つの理由として、死海の近くには鉱山があったこと、その権利の争いからの戦いと考えられています。それは、人間の欲望による争い、富による争いです。先ほどの4つの国が急な南下をしたのも、商業的の道の確保のためとも考えられていて、そのために反逆した者の他も打ち滅ぼしたとも考えられる箇所でもありました。

     このように、今日の箇所からは人間の欲望が、争い、戦争を生み出していることを記している箇所であることを読み取ることができるのです。そして、このように、人間が富のために、その欲のために争いをしていることは現在においても変わることはないでしょう。

     小さいところで言えば、うちの子どもたちもいつも物の取り合いでケンカをしていますし、現在、東シナ海をめぐる日本と中国、南シナ海をめぐるベトナムと中国との問題、そのほか、ロシアとウクライナなど、領土問題は絶えることはありません。

     創世記の中でも、資料としては孤立したこの箇所でも、そのような意味では人間の欲望、エゴイズムをとてもわかりやすく表した、人間の争いの箇所でもあります。

     

  3. 空にして ( 創世記 14:13-16 )

     そのすべてをひっくり返すかのように登場したのが、アブラムです。アブラムは、親族のロトが捕虜になったと聞いて、ロトの救出に向かいます。それは、鉱山の権利を争う4つの国、5つの国の争いとは違い、甥の救出のための行動でした。

     アブラムは、自分のために生きる国々に対して、その甥のために向かうのです。このアブラムの姿は、家族のため、親族のため、そして友人のために、そして隣人のために生きることを示す姿を教えるのです。

     しかもその相手はとても強く、強大な国々です。そのような国々を前にして、ロトを救出するためにアブラムは向かったのです。そのために、318人の自らの奴隷、自分の家で生まれた奴隷を訓練して、撃破に向かいます。

     「訓練を受けた者三百十八人を召集する」という言葉、の「召集する」という言葉はもともとは「空にした」という言葉です。

     アブラムが「空にした」もの。それは、自分が持っている人間的力、そのすべてを「空にした」のです。アブラムは自分の持っているすべての力を捨てていったのです。ここでアブラムは「空にした」。つまり、目に見えるものを捨てて、「人間的力」ではないものに頼ったことを表しているのです。アブラムは「心を空にして」「心を神様に委ねて」・・・人間的な力、強大な武器、強大な軍隊に立ち向かったのです。それがここに表されている言葉「召集する」「空にした」という言葉なのです。

     すでに、4つの国、王は、これまで、強大な力をもって、わざわざ南下をしてまで、多くの国々を撃破して、その後5つの反逆した国を撃破しました。そのようにとても強大と映し出された力でした。手に入れたいものは、力によって手に入れてきたのです。

     そのような強大な力を前にして、アブラムは甥ロトを助けるために、自分の力だけでは不可能な行為であることを悟っていたのでしょう。強く、強大で、なにものでも手に入れてきたものを撃破するために、自分の力だけで立ち向かうための限界を知っていたのでしょう。だからこそ、アブラムは「空にして」、すべてをすてて、人間的力ではないものに頼った。それがここに表されるアブラムの姿です。

     

  4. 信仰

     ここに主を信じる信仰の姿が表されています。アブラムは、神様から与えられた信仰をもって、進み続けるのです。信仰は、神様がわたしたちに与えて下さった信じる道です。イエス・キリストがわたしたちの隣にいて、私たちを愛してくださっているという道。それが、私たちが神様から受け取る信仰でしょう。

     わたしたちは、この信仰をもって、一歩一歩歩みだしていきたいと思います。人間的に強大で、大きな壁が立ちはだかるときがあります。アブラムが甥のロトを救いに向かったように、窮地に追い込まれる時もあるでしょう。そのような時にこそ、主が共にいることを信じて、私たちも歩み続けたいと思います。