1: 心は悲しみで満たされている
今日の箇所の6節において、「むしろ、わたしがこれらのことを話したので、あなたがたの心は悲しみで満たされている。」と語られています。弟子たちは、悲しみ、痛んでいました。弟子たちの悲しみは、イエス様が語られた言葉の内容にありました。イエス様は、もう間もなく別れなくてはならないことを予告されていたのです。弟子たちは、確かに心を騒がしていた、心を乱していたのです。弟子たちはイエス様の真実の姿を見失い、心を乱していたのです。
2: 主の思い
イエス様は、心を騒がせ、悲しみ、痛みを覚えている弟子たちの思い、そして私たちの思いを、知り、そして慰め、励ましてくださっているのです。しかしまた、そのようなイエス様の思いをよそに、私たちは、心を騒がせ、心を乱してしまう時があるのではないでしょうか。
私たちはイエス様の本当の心など気にもせず、自分勝手に道を踏み外し、、イエス様を見上げていくことを止めてしまうことがあるのです。
3: 聖霊の働き
イエス様はご自身が去って行かれることによって、そこに聖霊という、新たな弁護者、つまり、神様からの真理の霊が与えられると教えられます。そして、この聖霊の働きを、8節以降で語られるのです。イエス様は、罪について、義について、裁きについて、すべてを悟らせる、聖霊を送ると語るのです。
4: 主を告白する者へ
聖霊はわたしたちを罪から救い出す方です。この聖霊、私たちの弁護者なる方が、私たちに送られているのです。
聖霊は、心を乱し、イエス様を見上げることができなくなっている、つまり、罪の状態に陥っている私たちが、自分自身の罪を認めるために、私たちの目を開いてくださる方です。私たちがイエス・キリストと出会い、向かい合うことができるように導く方こそが、導き主なる聖霊なのです。イエス・キリストの執り成しの祈り、そして聖霊の導きに応え、私たちは、神様へと向かって歩みだしていきたいと思います。
今日、この聖霊をいただく時、ペンテコステの時を迎えました。自分自身では、心を明け渡すことも、祈ることもできない小さく、弱い者かもしれません。しかし、そのような私たちのために、イエス・キリストが共にいて、そして聖霊が、私たちを導いてくださっているのです。私たちは、その導きを信じ、イエス・キリストへと心を明け渡していきたいと思います。
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