「天国は、ある家の主人が、自分のぶどう園に労働者を雇うために、夜が明けると同時に、出かけて行くようなものである。」物語の主人は、朝6時に1日1デナリオンの約束で労働者を雇います。1デナリオンは当時の平均的労働賃金でした。主人は、9時、12時、3時頃にも出て行き、「相当の賃金を支払う」約束で労働者を雇います。ところが、あと1時間しかない5時にも人を雇い、何とそれぞれに1デナリオンを支払うのです。一見、理不尽なこの物語をどこに立って読むでしょうか?
1.だれも雇ってくれない:5時から男の不安と孤独、そして喜び
「だれも雇ってくれないのです」。働きたくても仕事がない。そして、背後には彼らの帰りを待っていた家族がいたでしょうし、それは、彼らが日銭を持って帰らなければ暮らしていけない家族たちでした。いのちそのものが脅かされていたのです。1デナリオンは彼らの生活にとって必要不可欠な金額、いのちの値でもあったのです。「なぜ、何もしないで一日中ここに立っていたのか」「だれも、雇ってくれないのです」というこのやり取りが、今朝私たちの中で響いていないでしょうか。「あなたがたも、ぶどう園に行きなさい」という言葉に、仕事を与えられ、1デナリオンを貰った人は、感謝と喜びに満たされたことでしょう。
2.主人の気持ち:神の大らかさ
「わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ」という言葉が心に響きます。主人には、働く機会がないというその人たちの不安な心が分っていたのです。神を表しているこの主人にはその不安な心に対する深い思いやり、ねぎらいの思いがあり、そのいのちの価値を思いやったのではないでしょうか。
3.比較する心:人間の貧しさ 朝から働いた者の不満
すると朝早くから暑さを辛抱した労働者たちは文句を言いはじめます。ある意味では当然です。「それとも、わたしが気前よくしているので、ねたましく思うのか」。原文では、「それとも、あなたの眼(に)は私が善であることが悪であるのか」となっています。神の豊かさ、大らかさが、自分と他者とを比較する心、人間の目には「邪悪」に映るとは何と恐ろしいことでしょうか。
4.第11時の男に身を置く
英語で、at the eleventh hour 「第11時に」という熟語があります。「終り際に」とか「きわどい時に」、「ぎりぎり(セーフ)」と言う意味です。天の国では、「後にいる者が先になり、先にいる者が後になるのです」(松見 俊)
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