『孫子』という中国の兵法の書に、「必ず勝つためにはどうしたらよいか」という問いがあります。黒田官兵衛も読んだようです。答えは簡単。「負けそうな相手とは戦わない」というのです。肩透かしを食らった感じですが、するどい答えです。人間、自分の力の見極め、敵対するものの見極めが肝心です。パウロは宣言します。「しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛して下さる方によって、輝かしい勝利を収めています」(ローマ8:37)。
1.「わたしたち」
37節のこの宣言には3つの要素が登場します。まず、「わたしたち」です。「わたしたち」は罪深く、弱いものです。学識や経験によって賢そうに見えても、大したことはありません。「50歩、100歩」です。この自分自身の見極めができていますか?
2.艱難、苦しみ
第2の要素は、パウロが「これらすべてのことにおいて」と語っていることであり、それを「しかし」という言葉で打ち消そうとしている事柄です。つまり、私たちに日常的に襲ってくる艱難、苦しみ、迫害、飢え、裸、危険、剣があるという事実です。物質的な飢えはないかも知れませんが、富める国の精神の荒廃、心の飢え乾きは相当のものです。苦しみも襲ってきます。世界には戦争が絶えませんし、わたしたちの国も大きく変わろうとしています。パウロは私たちが直面している現実を良く知っています。彼自身も苦難を味わい尽くしました。このような第2の要素は私たちよりも力が強いのです。自分の力で困難、苦難と戦おうとすると、どうも私たちには分が悪いのです。勝てそうにない、これが私たちの現実です。
3.神の愛と力
しかし、決定的に重要なこと、第3の要素についてパウロは語ります。それは神の愛の力です。「神がわたしたちの味方である」(31節)。敵にしたくない、最強のお方が、私たちの味方であるなら、誰も歯向かいうるものなどいません。神はその最愛のみ子イエス・キリストを送り、私たちの罪の身代わりとして十字架の死に「引き渡された」のです。神は主イエスの愛の犠牲のゆえに、私たちに無罪を宣告されたのです。私たちにとって最も恐るべき審判者である神が無罪を宣告されたのであれば、もし私たちを審判するお方が私たちの弁護士であれば、私たちはいったい誰を恐れる必要があるでしょう。
4.結論
パウロは結論を語ります。「だれも、何ものも、キリストの愛から、主イエス・キリストにおける神の愛から私たちを引き離すことはできない」(松見俊)
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