1: 礼拝の勧め
パウロは、もともとはキリスト教を迫害する、自分の弱さを受け入れられない者、自分自身と向き合うことができなかった人間です。そんなパウロは神様の憐れみに出会い、自分の弱さを受け入れる者と変えられたのです。神様の憐れみと恵みとを受け取ったパウロだからこそ、今日の箇所において、神様に礼拝を献げていくことの大切さを、本当に熱心に勧めるのでしょう。愛と憐みを受け取った者として私たちは礼拝を献げるのです。
2: 神様の憐み
神様は、私たちを憐れまれました。私たちのために、神様はイエス・キリストをお遣わしになってくだいました。主イエスが私たちのために、「聖なる生けるいけにえ」(12:1)として献げられました。イエス・キリストの十字架は、私たちの一人一人の罪のために注がれた神様の憐れみです。神様は、イエス・キリストの十字架によって、私たちが神様に礼拝を献げていくことができるために、憐れみ、恵みを注いでくださったのです。
3: 聖なる生けるいけにえ
イエス・キリストは、自らが「聖なる生けるいけにえ」となり、私たちのために死んでくださいました。だから今、私たちに言われます。「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい」。今、私たちは愛された者として喜んで神様を愛して生きることが望まれているのです。そしてそれは、私たちが生き方を変えていくということです。
「あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。」(12:2)
イエス・キリストは私たちを愛してくださっている。どれほど弱くても、何もできなくても、神様はわたし人間を愛して喜んでいてくださる。だからこそ、わたしたちは、それほどに、わたしたちを愛して、大切に思ってくださっている方、主イエス・キリストに出会い、心を新たに、自分を変えていただきたいと思います。
4: 喜んだ礼拝
私たち、一人一人は、決して強くはないかもしれません。しかし、神様の愛と導きに従うとき、私たちは、イエス・キリストに支えられ、そして、このパウロの励ましのような、多くの兄弟姉妹の励ましに支えられます。私たちは、お互いの祈りと励ましに支えられ、神様の御心に従う、一歩を踏み出していきたいと思います。
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