水は人間にとって必要不可欠なものです。皆さんは、どこの水源に根差して生きておられるでしょうか?
1.信仰の継承と自分独自の信仰
今朝のみ言葉は、イサクという人が、父親アブラハムから受け継いだ井戸を掘り直すという物語です。イサクらと敵対していたペリシテ人が、父親のアブラハムが堀った井戸を塞いでしまったからです。信仰が父や母から、また、子や孫に受け継がれていくのは素敵なことです。しかし、人は結局、自分自身の井戸、命の水脈を自分自身で掘り当てねばならないのではないでしょうか?
2.井戸を巡る争い
ペリシテ人の族長アビメレクはなかなかの太っ腹な男なのですが、イサクの家畜が増えたため、同じ土地で牧草や水を得ることが困難になったというので、「どうか、ここから出て行っていただきたい」と願うのです。そこで、イサクはゲラル地方の谷間に移動しますが、井戸を巡る争いが続きます。
3.レホボトの獲得
しかし、物語はここで終わっていません。今朝のみ言葉は、「イサクはそこから移って、更にもう一つの井戸を掘り当てた。それについては、もはや争いは起こらなかった。イサクは、その井戸をレホボト(広い場所)と名付け、『今や、主は我々の繁栄のために広い場所をお与えになったと』言った」とあります。レホボト(広い場所)です。レホボトとは「ラーハーブ」(広くされる)ことを意味しますが、ヘブライ語で「救い」と翻訳される「ヤーシャ-」も、元々は「余地を与えること」「空間を与えること」を意味しています。「救い」とは「広がり、余地を与えることである」とは興味深いことを教えているのです。
4.救いとは広がりを与えられることである
詩編4:1で、「呼び求めるわたしに答えて下さい。わたしの正しさを認めて下さる神よ。苦難から解き放って下さい」と詩人は、祈っています。この「苦難から解き放って下さい」という表現はヘブライ語では「窮屈になっている時に、広がりを与えて下さい」という願いです。口語訳は「あなたは、わたしが悩んでいた時、わたしをくつろがせてくださいました」と翻訳しています。「くつろぐ」とは味わい深い言葉です。神様の救いとは、私たちから困難や苦難を取り去っていただくというより、「広い視野」を与えられる、どんな八方塞がりの中にあっても、神様との繋がりを信じるという「広がり」を与えられることなのです。(松見 俊)
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