明日は敬老の日です。日本は、世界でトップの長寿国です。嬉しいことですが、どのように年を重ねていくかは、益々大きな課題です。
1.『老いを創める』
元聖路加病院長の日野原重明は『老いを創める』という本を出版しています。このタイトルはユダヤ人哲学者マルチン・ブーバーの『隠れた神』という本の一節から採られていますが、「年老いているということは、もし人がはじめるということの真の意味を忘れていなければ、すばらしいことである」とあるそうです。意欲をもっていつも何かを創めようとすること、そのような姿勢はその人の信仰と深い関わりがあるのだと思います。
2.詩編92編に聴く
そこで今朝は詩篇92:13-16を手がかりにして年老いてなお生き生きとした人生を送る秘訣について考えてみたいと思います。この詩編では、正しい人は木にたとえられています。正しい人とは、「義しい人」と本来書くべきで、ただ道徳的に正しいだけでなく、神との関係において義とされている人のことです。
3.命に溢れ、生き生きとし、実を結ぶ
義しい人は、「なつめやし」の木とレバノンの杉にたとえられています。なつめやしは20~30メートルの高さに達し、実がなるまでなんと40年も要します。しかし、それから150年にわたって実をならせると言います。1本の木に12の房がつき、それぞれの房に1000個の実をならせます。レバノン杉は、樹令1000年の長きに渡り、高さも30メートルにもなり、力と美しさと繁栄のシンボルです。
4.神に繋がって生きる
信仰者が「白髪になっても実を結び、命に溢れ、生き生きと」生きるのは、彼らが、主なる神の神殿、その大庭にしっかりと根をおろしているからです。人が生きている間には様々な困難があり、病があり、挫折もあるでしょう。しかし、まことの神を礼拝し、神のいつくしみとまことに根ざす人は決して揺るぐことはありません。
5.神を証する使命、神に証される喜び
最後に、「述べ伝えるでしょうわたしの岩と頼む主は正しい方、御ものには不正がない、と」と言います。高齢者の課題は、若者と競うことではなく、主なる神が正しいことを示すためのその証人として生きることです。いや、それさえ、できなくなる時がくるかも知れません。しかし、神は私が生きたことの証人になって下さることは確実です。「私の岩と頼む主」とはそういう意味ではないでしょうか。主なる神は私との関係において、岩のように確固としています。(松見 俊)
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