1: イエスとはどのようなメシアなのか
今日の箇所において、イエス様の姿が変えられました。これまでマルコによる福音書では、「イエスとはだれなのか」ということを中心に記されてきました。そして、ペトロは「イエスはメシア、キリストです」という告白をしたのです。聖書では、イエス様は、私たちの救い主キリストだと教えています。
聖書では、これまでのメッセージからまた一歩進んで、「主なるイエス」という告白の中で、それでは「メシア、救い主とは、どのような方なのか」と、その救い主としての内容が問われるものとなっていくのです。
2: これに聞け
神様は「これはわたしの愛する子。これに聞け」と続けられます。「聞くこと」。それはただ単に耳を傾けてみる、聞くということではありません。「これに聞け」とはつまり「聞き従う」というところまで意味する言葉です。主に聞く道、その道は、イエスが歩かれた十字架の道、愛を表す道に聞き従いなさいと教えているのです。
ペトロに足りなかったこと、そしてそれは私たち人間一人ひとりにあてはまる事柄として、足りないこと。それは、まさに「聞くこと」「聞いて、従うこと」です。ペトロは神様の御言葉、そして恵みを聞いているようで、自分中心に生きていたのです。
3: ただ主イエスが一緒にいた
そして、そんなペトロの弱さ、つまり人間の罪を受け止めるかのように8節では「ただイエス様だけが彼らと一緒におられた」と教えます。ただ「イエス様が一緒にいてくださった」ということを教えています。人間の罪、その弱さ、その真ん中にきてくださった、それが十字架のイエス・キリストです。
十字架のキリストに従うこと。それは、そのような自分の弱さや、罪。そのすべてを背負ってくださる方をまず見つけることから始まるのです。福音の恵みを受け取ること、ここからキリストに従うことが始まるのです。私たちは神様に愛されているのです。自分の力や思いが一番ではなくて、神様が愛してくださっているという土台のうちに生きていきたいと思います。
4: 福音に生きる
「キリストに従うこと」。それは神様の愛を受け取り、新しい人生を歩みだすことです。つまりわたしたちは、神様の愛をいただいて、愛された者として、他者を愛して新しく歩き出したいと思います。
わたしたちは今、神様の愛をしっかり受け取っているでしょうか。イエス・キリストに従う、福音に生きるとは、わたしたちが愛されているということから、愛する者へと変えられていく道です。イエス様は自らの命をかけて、神様の愛を表されたのです。わたしたちは、その愛に従う希望と勇気をいただきたいと思います。
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