1: ぶどうの話
みなさんはぶどうを育てたことがあるでしょうか。ぶどうを育てるのは、非常に手のかかることで、大変な労力と知識と知恵が必要なことです。特に、良いぶどうを育て続けることは大変な時間と労力を必要とします。
今日の聖書にあります、イエス様の言葉「わたしはまことのぶどうの木」「わたしの父は農夫である」とは、父である神様が、イエス・キリストというぶどうの木を通して、わたしたち一人ひとりの命のためにどれだけの労力と犠牲を払っているのか、どれだけわたしたちを大切に育ててくださっているのかを教えています。
2: 私たちの結ぶ実
神様は「わたしにつながっていなさい」と伝えます。「わたし」つまりぶどうの木とされる、イエス・キリストにつながっていなさいと。神様は、主イエスを通して実を結ぶ。実を結ぶ力が与えられるのです。
わたしたちは今、どのような実を結ぼうとしているでしょうか。わたしたちはいつの間にか、自分だけの幸せの実を求めていないでしょうか。自分以外の周りの人を忘れた思い、隣にいるだれかを蹴落としてでも成し遂げる、そのような思いとなるときに、それはとってもさびしいものになるのではないでしょうか。
3: わたしにつながっていなさい
わたしたち人間の心には、神様の愛という泉が必要です。神様は、イエス・キリストを通して私たちが愛する力を与えてくださいます。私たちがだれかを受け入れること、そしてそれは自分の子どもであっても、自分であっても、そこには神様の愛が必要です。他者と生きる事、隣人を愛すること、そして自分を受け入れていくことは、神様の愛が心のなかに注がれるときにあふれてくるものなのです。神様は、わたしたちを愛しています。そして神様は「わたしにつながりなさい」と教えます。神様につながること、それは愛する力をいただくことです。
4: 愛に留まる
わたしたちは神様の愛につながり続けていきたいと思います。そして、神様からの愛の力をいただきましょう。わたしたちができることはただ神様という愛の方につながり続けることです。神様の愛に留まり続けることです。神様につながるときに、私たちは愛するという力を与えられるのです。私たちにはただ神様に、その愛に留まり続ける事が求められている。そしてこの神様の愛に留まるときに、そこには必ず生きる希望が与えられるのです。
神様は言われます。「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」
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