1: 誰が一番偉いのか
今日の箇所で、弟子たちは自分たちの中で誰が一番偉いのかという議論を始めました。イエス様の弟子たちは、自分こそが一番偉い、皆に尊敬されるにふさわしい、そのような思いの中で、互いに譲ることのない、議論をしていたのです。
今日の箇所を見てみますと、弟子たちがこのような議論を始めたのは、イエス様が、自らの死について予告をされたその直後のことです。弟子たちは、イエス様がこの世に来られた、その最も大事な目的、十字架による救いが語られた、その救いの事柄よりも、自分たちの中で誰が一番偉いかと、自分の中にこそ栄光を求めることが、最大の関心事となってしまっているのであります。
2: お互いを比べる心
私たちは、このような弟子の姿を現す箇所というのを、どのように見ているでしょうか。私たちは、このような話というものを、簡単に、笑ってすませることはできないでしょう。このような、お互いをいつも比べ、自分にこそ栄光を求めている弟子たちの姿、そのような姿は、私たちの日常の中で行われているそのものであり、ここで表される弟子たちの姿こそ、私たち自身の姿として見ることができるのではないでしょうか。
3: わたしたちのところまで来られた方
今日の箇所では、お互いを比べる弟子たちにイエス様は「途中で何を議論していたのか」(33)と尋ねられました。その問いに弟子たちは黙って答えることができませんでした。弟子たちは主の前に差し出すのではなく、黙ってしまったのです。
イエス・キリストは、そのような弟子たちの心を、素直に神様の前に罪を差し出すことができない弱さ、そして、それは、私たち自身の人間としての弱さを知って下さっています。その弱い、小さな心、自分のことしか考えていないような心を、受け入れてくださるために、主イエスはこの世に来てくださったのです。
4 仕える者となりなさい
わたしたちに与えられたのは、イエス・キリストが十字架の上で表された神様の愛です。それは主イエス・キリストが、どこまでも低く、どこまでも仕える者となって、私たちに示された愛です。神様は、イエス・キリストを通して愛を示されました。
そのような主、私たちの為に、どこまでも仕え、最後には十字架の上で、命までかけてくださった方がわたしたちに教えるのです。「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい」(35)と。私たちは、主イエス・キリストの言葉を受けて、仕える者として生きていきたいと思います。
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