1.嘆きと悲しみから立ち上がる
アブラハムの神様の招きに応えて歩き出した人生は、その隣にいつもサラがいました。アブラハムとサラの間には一緒に乗り越えてきた苦難もあれば、一緒に喜んだ大きな喜びがあったでしょう。アブラハムはサラの死をどのような気持ちで受け止めたのでしょうか。「胸を打ち、嘆き悲しんだ」とありますが、どれほど深い悲しみだったのでしょうか。神様に一緒に仕えてきた者の死、その悲しみはどれほどのものでしょうか。アブラハムはここで「サラのために胸を打ち、嘆き悲し」みました。「アブラハムは遺体の傍らから立ち上がり、ヘトの人々に頼んだ。」(3)アブラハムはサラの遺体の傍らに嘆き悲しんでいました。その姿は、わたしたちが嘆き、悲しむことが許されていることを教えています。悲しいときには悲しみ、嘆きの心をそのままに、心に痛みがあるときはその痛みをもつことが許されていることを知りたいと思います。
アブラハムはそこから立ち上がります。アブラハムの悲しみから立ち上がる姿は、私たちに何を教えているのでしょうか。わたしたち人間のうちに死を打ち破る力はないでしょう。死から立ち上がる力は、十字架という死を打ち破られた復活の命の主イエス・キリストにあるのです。神様は、私たちに生きる力と希望を与えてくださいます。
2.正式な取り引き
アブラハムは立ち上がり、墓地を譲ってもらうためにヘト人に頼みます。この交渉にはいろいろな意味があったでしょう。
最初に、アブラハムは墓地を譲ってほしいとお願いしました。しかし、ヘト人の答えはこのようなものでした。「どうか、御主人、お聞きください。あなたは、わたしどもの中で神に選ばれた方です。どうぞ、わたしどもの最も良い墓地を選んで、亡くなられた方を葬ってください。わたしどもの中には墓地の提供を拒んで、亡くなられた方を葬らせない者など、一人もいません。」(5-6)
アブラハムは墓のための土地を譲ってほしいとお願いしたのですが、それに対する答えは「どこでも選んでください」と一見とても親切に思える言葉ですが、それは「葬る」ことを許しただけで、土地を譲ることを許した言葉ではありませんでした。
それでもアブラハムはそんな交渉に対して、粘り強く交渉していくのです。アブラハムはエフロンの所有地マクペラの洞穴をいただきたいと願うのです。その言葉に対してエフロンは差し上げると答えます。ただであげるというのです。これもとても優しい言葉と思われますが、エフロンの答えは上手に取り引きをしないようにとしている言葉でした。「ただで差し上げる」とは結局アブラハムの所有することを拒む言葉なのです。
これに対してアブラハムは、「わたしの願いを聞き入れてくださるなら、どうか、畑の代金を払わせてください。どうぞ、受け取ってください。そうすれば、亡くなった妻をあそこに葬ってやれます。」(13)と、代金を払わしてくださいと交渉を続けるのです。それに対してエフロンはこのように言います。「どうか、御主人、お聞きください。あの土地は銀四百シェケルのものです。それがあなたとわたしの間で、どれほどのことでしょう。早速、亡くなられた方を葬ってください。」(14-15)
銀400シェケルとはだいぶ高額であったようです。エフロンは優しく丁寧な言葉をもって対応をしているように見えますが、それは、丁寧に拒み、そして優しい言葉をもってアブラハムにとてもすごい値段を要求したのです。アブラハムはこのエフロンの要求をそのまま受け入れ、とても高い代金でこの土地を購入したのです。しかもここで、なんども「すべてのヘト人の聞いているところ」「町の門の広場」「すべてのヘト人の立会いのもと」とあるように、公なものとして、アブラハムはこの土地を買い取ったのです。
3.寄留者
この箇所から考えさせられることの一つとして、アブラハムの寄留者として生きる姿から学ぶのです。
もともとアブラハムは神様の召し、神様の御言葉によって故郷を離れて旅立った者です。それはイエス様の弟子たちがイエス様に召された時のように、自分の持つこの世の頼みのすべてを捨てて、神様にすべてを委ねて歩き出したときと同じ姿でしょう。わたしたちはアブラハムの姿から、キリスト者としての生き方を教えられます。それはこの世に、この地上にしっかりとした土台をもつことのはかなさと、神様から与えられたイエス・キリストという土台に生きる恵みです。わたしたちはこの人生において、この世のどのような土台に生きるのでしょうか。
4.キリストという土台
イエス・キリストという土台。今日の箇所でアブラハムはとても驚くような金額をもって、その墓地を手に入れたのです。神様はイエス・キリストの命をもって、私たちのよりどころを買い取ってくださいました。神様はイエス・キリストによる愛という土台を私たちのために買い取ったのです。それは、死を命に変えてくださる出来事であり、闇を光に変えてくださったのです。私たちにとって、キリストを土台とすることは、死を越えた命につながることです。わたしたちはこのイエス・キリストという土台の上に歩んでいきたいと思います。
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